大聖堂で「降誕会」 世界平和を願い、心の成長を 庭野会長が法話 (動画あり)

式典では光祥次代会長を導師に読経供養が行われた

釈尊の生誕(降誕)を祝い、仏教徒として教えに出遇(であ)えた悦(よろこ)びといのちの尊さをかみしめるとともに、さらなる布教伝道を誓願する立正佼成会の「降誕会」が4月8日、大聖堂(東京・杉並区)で厳修された。降誕会は、季節の花で飾った花御堂(はなみどう)に誕生仏を安置し、甘茶を灌(そそ)いで供養することから「灌仏会(かんぶつえ)」「花まつり」ともいわれる。会員は参集せず、当日の様子はインターネットの動画共有サイトを通してライブ配信(会員限定)された。

式典の様子(クリックして動画再生)

式典では、釈尊降誕の意義をまとめた映像作品の上映後、読経供養が行われ、導師をつとめた庭野光祥次代会長が庭野日鑛会長の啓白文を奏上した。この後、光祥次代会長が聖壇上に設けられた花御堂に灌仏した。

次いで今井克昌布教相談役が体験説法に立ち、信仰を深めるに至った京都府内の大学に進学した時の様子を紹介。当時、下宿先の家主が何かと世話を焼いてくれることが負担で、母に転居を相談したが、『経典』(青経巻)にある「道場観」を示され、与えられた環境で心を磨くことが大切と諭された体験を披歴した。また、その悩みを解決するために京都教会に足を運び、アドバイスに沿って家主との関係を築き直した経緯を述懐。やがて、家主は自分を単なる下宿人ではなく、家族同然に思ってくれた温かな心の持ち主で、自らを法縁に導く恩人であると気づき、家主との縁に感謝できた心の変化を詳述した。

また、教会長として触れ合った会員とのエピソードも紹介。アレルギーのある子を持った母親の悩みに耳を傾け、教えに沿って「一日に一つ有り難いこと、楽しいことを子供さんと見つけることをしてください」とアドバイスしたところ、その母親は実践して幸せな家庭が築けたと語り、実践の尊さをかみしめた。

続いて庭野会長が登壇。誕生仏に甘茶を灌ぎ、法話を述べた。

聖壇に設けられた花御堂で灌仏する庭野会長

庭野会長は、「啓白文」に触れながら、釈尊が生まれてすぐに七歩進んだ意味合いに言及。人は「六道」(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世界に迷っているが、釈尊が生まれてすぐに「七歩」歩いたのは、「釈尊がそうした迷いの世界を超えている方だということです。その方が私たちの世界に降りてこられたという意味で、『降誕』と表現しているのです」と述べた。

また、人間は何億年という長い生物的、動物的生活の果てに人間らしくなり、さらに長い年月を経て真理や道といった「心」を持ち合わせるようになったと説示。それは、いわば天地自然が成してきたことで、「私たちの心は天地自然の心と一つ」であると述べ、「天地自然は、あらゆるものが栄えるように変化、創造しているわけですから、私たちの心も常に無限に創造、変化していくことが大切」と説いた。

その上で、心の成長を果たし、世界をよりよくしていくには、「幼少年の教育」が重要になると示し、多くの人材を輩出した吉田松陰の松下村塾での教育を紹介。現代は、点数によって子供たちの学業の優劣をつけていく方法が取られているが、松下村塾の教育を例に、他の人と比べることなく、一人ひとりの特色や長所を探して生かすような教育や触れ合いが大切と述べた。

さらに、「悲しむ」という行為は、人間の情緒の最も尊い働きの一つとし、「人が自分の親、きょうだい、子供ばかりでなく、友人のこと、世の中のこと、国のことを悲しむようになって、はじめて文明人であり、文明国であるといわれています」と教示。ウクライナ情勢への悲しみ、いのちが犠牲になっている現状への悲しみを世界平和に尽くすもとにし、それぞれが平和のために精進していくことを促した。

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