民主国家の誇りと勇気――ウクライナ国民と正教会(海外通信・バチカン支局)
ロシアのプーチン大統領は2月21日のテレビ演説の中で、「ウクライナ政府がロシア正教会を破壊しようとしている」と発言し、同政府を非難した。発言にある「ロシア正教」とは、ウクライナにあるモスクワ総主教区派正教会のことだ。
ロシア正教会の最高指導者であるキリル総主教は、ウクライナで始まったロシアへのキリスト教導入(980年前後)という歴史的事実を指摘しながら、両国間に共通する「宗教的な絆」を主張し、ロシア系住民の保護を理由にしたプーチン大統領のウクライナへの侵攻を黙認する立場を取っている。
ロシア軍がウクライナに侵攻してから約1週間が経ち、首都キエフを包囲しつつあるが、ウクライナ軍は全土で必死の抵抗を続けている。ロシアが想定した「電撃戦」とはならず、それどころか、侵攻してきたロシア軍を待ち受けていたのは、軍事的な防衛に加え、レジスタンス(抵抗運動)のシンボルとなったゼレンスキー大統領を中核に結束した、ウクライナ国民が持つ民主国家としての誇りと勇気だった。プーチン大統領の犯した大きな誤算が、明らかになりつつある。
また、欧州各国に移住していた多くのウクライナ国民が、自国防衛のために志願兵として帰国しているという。イタリア国営テレビはこのほど、中年のウクライナ人女性が、志願兵になるためローマからバスで帰国する様子を放映。女性は、「銃を持ったことはないけど、敵が撃ってくるなら、国を守らなければ」と言い残し、発っていった。
ウクライナ国内の正教会でも、同じような現象が起きている。ロシア正教会のキリル総主教は2月27日、ウクライナ侵攻に言及し、「私たちは今日、ウクライナの兄弟姉妹たちとの一致を必要としている」「私たちは、平和の回復と両国民間における良き友愛関係の再構築のために祈らなければならない」と述べ、その和解が「ウクライナのモスクワ総主教区派正教会によって保障される」との確信を表明した。
さらに、「主なる神が、ロシアの地を維持してくださいますように」と祈り、ロシアの土地には「ロシア、ウクライナ、ベラルーシと他の民族や人々が含まれる」と説明。神がロシアの地を外敵や国内の秩序の混乱から守り、「私たちの教会の一致が強められ、神の慈悲によって、あらゆる誘惑、悪魔的な挑発が退けられ、ウクライナの信仰厚き人々が平和と安穏を享受できますように」と願った。
キリル総主教が“ロシアの地”と呼ぶのは、キリスト教が最初に導入(ロシアの洗礼)されていった地域を含めてのことだ。その発言の延長線上には、プーチン大統領が構想していると推測される、東欧共産圏、バルト3国、ジョージア、モルドバを含めた旧ソ連構成地区の再興があるようだ。キリル総主教が、ロシア正教会とウクライナのモスクワ総主教区派正教会との一致を強調する背景には、モスクワ総主教区派の聖職者や信徒の中で、ロシア軍のウクライナ侵攻に対する非難の声が強まってきているという事実があるからだ。
モスクワ総主教区派の最高指導者であるオノフリー大主教は27日、日曜礼拝の席上、同派の聖職者と信徒の多くが、ロシア正教会のリーダーシップに対して疑念を抱いており、「皆がウクライナの防衛を主張する立場を取っている」と発言した。さらに、同派の多くの教会で、これまでの習慣に沿ってきた「キリル総主教の名を唱える」部分が典礼から削除されたと、ローマ教皇庁外国宣教会(PIME)の国際通信社「アジアニュース」は28日に報じている。
ウクライナ正教会のロシア正教会管轄からの独立を進めてきた「キエフ総主教区派(ウクライナ正教会の一派)」の最高指導者であるエピファニー大主教は27日、キリル総主教に宛てた公開書簡を公表した。この中で、「残念ながら、以前の公式発言から察すると、貴殿はプーチン大統領の政策やロシアのリーダーシップの方が、ロシア軍の侵攻前に一部(モスクワ総主教派)が貴殿を司牧者(指導者)として仰いでいたウクライナ国民より重要と判断していることは明確である」と非難。さらに、「ロシアによるウクライナ侵攻の即時停止のために声を上げることができないならば、少なくとも、(プーチン大統領が目指す)“一大ロシア”という理念(ウクライナ侵攻)のために戦死し、ウクライナの地に眠る3000人を超えるロシア軍兵士の遺体を引き取るために努力してほしい」と呼びかけた。
ロシア軍によるウクライナ侵攻は、ウクライナ国内で分裂していた正教会諸派を一致させた。さらに、ロシアに対する経済制裁、ウクライナへの人道支援や武器の供給、同国からの避難民の受け入れなどを通し、今までは統一した外交政策を出せないでいた欧州連合(EU)と、米国を結束させた。ここに、プーチン大統領の二つ目の誤算があった。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)