庭野会長 「朔日参り(布薩の日)」式典で法話 法華経精神をもって精進を
12月1日、立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が東京・杉並区の大聖堂で行われた。式典の様子はインターネットを通じてライブ配信(会員限定)された。
当日は、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、松本圭司葛飾教会長が体験説法に立った。
松本教会長は、青年本部(当時)スタッフだった2003年、国連安全保障理事会の決議に反してイラクが大量破壊兵器を保有しているとの理由で米国が攻撃しようとしている状況を変えるため、青年部員らと共に戦争回避に向けて両大使館前で祈りや献花の活動などに取り組んだことを述懐。イラク戦争が始まり無力感に襲われたものの、諸宗教者による国際会議の席上、そうした「祈り」と「行動」が世界の宗教者に勇気を与えたとの報告を聞き、「真心でさせて頂いたことは必ず誰かの心に届く」と実感した体験を振り返った。
また、その後、教会長として会員と共に布教に取り組む中で、人の気持ちに寄り添い、相手を理解することで心を開いてもらえると深く学んだ経験を発表。新型コロナウイルス感染症の流行で集うことが難しい状況だからこそ、人と人とのつながりの大切さを再認識できたとも述べ、皆が共に救われて生きる「一乗の世界」の実現に向けて精進すると誓った。
この後、法話に立った庭野日鑛会長は、曹洞宗大本山永平寺の宮崎奕保第七十八世貫首が生前に自身の修行について、座禅、食事、草むしり、掃除、読経などは全て師匠の真似(まね)をしてきただけと振り返り、「一日真似れば一日の真似、一年真似れば一年の真似、一生やってほんまもんになる」と述べていたことを紹介。「学ぶ」は「真似ぶ」が語源であり、本会の基本信行である「ご供養」「導き・手どり・法座」「ご法の習学」についても、誰もが先輩から教わり、真似てようやく自ら実践できるようになったと述べた。ただし、人はいくら学び、どんなに経験を重ねても、「これで出来上がった」と完成することはなく、だからこそ常に新鮮な気持ちで一生学び続け、手本となるよき師、よき先輩の真似をして、ひたすら仏道を歩んでいくことが大切と教示。「それが精進である」と説いた。
さらに、一休禅師が詠んだ「極楽は西にもあれば東にも 来た(北)道さがせ 皆身(南)にぞある」という歌を紹介し、極楽浄土は、はるか遠くにあるのでなく、東西南北のどこにもあり、自らの心が決めるものであるとの意味を説明。その意味では、「仏さまの教えを頂く私たちが、人さまと和になって平和の世界をつくれるということであり、それが本当の極楽」と示し、「法華経の精神、菩薩の精神をもって世のため人のためになっていくことが、私たちの務め」と述べた。