庭野会長 「朔日参り(布薩の日)」式典で法話 いのちに畏敬の念を

庭野会長は法話で、人間として尊いいのちを授かったことに感謝し、精進する大切さを示した

立正佼成会の「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が7月1日、大聖堂(東京・杉並区)で行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。式典の模様はインターネットの動画共有サイトを使い、会員に向けてライブ配信された。

式典では、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われた。続いて、髙木宏昌総務部次長(人事グループ)が体験説法に立った。

髙木次長は、20歳の誕生日に母親から届いた手紙に、髙木さんを「仏さまから預かった子」として育ててきたと記されていたことを紹介。その愛情に感謝し、本部入職の際には、いつも会員に寄り添っていた母親のように、人に尽くす布教者になりたいと誓願したことを披歴した。

また、結婚後に育児に追われる妻の苦労をくみ取れず、夫婦の間に溝ができ、自らを見つめ直したことを述懐。庭野会長の法話に学び、妻の名前を呼んであいさつをする実践を繰り返すうち、夫婦が互いに寄り添えるようになった体験を発表した。さらに、職場での現在の業務に触れながら、次長である自らが、率先して人に喜ばれる触れ合いに努めていきたいと決意を語った。

法話に立った庭野会長は、「人の身は父母を本(もと)とし、天地を初(はじめ)とす。天地父母のめぐみをうけて生(うま)れ、又養はれたるわが身なれば、わが私(わたくし)の物にあらず」という貝原益軒(江戸時代の儒学者)の言葉を紹介し、人間は自分の力でこの世に生まれてきたと思いがちだが、「人の体は本来、天地、父母の恵みを受けて生まれ養われており、決して私だけのものではない」との意味を説明。会員に対し、自らのいのちを大切にし、世のため人のためになることが、模範とすべき先人の言葉に適(かな)う生き方と述べた。

また、明治時代の政治家である副島種臣(たねおみ)が詠んだ「あやにあやにかしこくもあるか天地(あめつち)の御稜威(みいつ)の中に立ちたるわれは」という歌を紹介。「大宇宙の中で私がこうして生かされていることは何と不可思議で、畏れ多いことか」という意味であり、いのちに対する畏敬の念が込められていると示した。

さらに、庭野会長が揮毫(きごう)し、「御親教」式典で披露された今年の書き初めの『省心(せいしん)』に言及。一年の折り返しを迎え、改めて自分の心を省み、「人間として尊いいのちを頂いていることに気づき、人さまのお役に立つような人間になれるよう精進していきたいものです」と述べた。