庭野会長 「布薩の日」式典で法話 「型」に従い「我」を取り去り、仏と一つに

庭野会長は「信仰とは、限りない理想を目指して、絶えざる向上を図っていくこと」と説き、精進を促した

6月15日、大聖堂(東京・杉並区)で立正佼成会の「釈迦牟尼仏ご命日(布薩=ふさつ=の日)」式典が行われ、庭野日鑛会長が法話を述べた。全国の会員に向けて、式典の様子がインターネットの動画共有サイトでライブ配信された。

式典では庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、三村記代本庄教会長が体験説法に立った。

三村教会長は本部入職後、青年本部の教務員として初めて行った青年婦人部員の研修の際、国際援助に携わりたいとする大学生の娘の意向に反対してから関係悪化に悩む一人の部員との触れ合いを発表。部員の話を聞いて、娘の志の素晴らしさと、彼女を育てた部員の教育をたたえると、部員は前向きになり、サンガ(教えの仲間)と共に布教に歩き、親子関係が改善したことを紹介した。この時に、「信仰によって心境が変わると、人生が変わる」と実感したことを述懐。部員を信じて思いをかけ続けたサンガの姿を通して、自身も多くの人に支えられてきたことに感謝を深め、人の仏性を開く縁になりたいと思った心境を振り返った。

現在は教会長として、コロナ禍の中でSNSを使って会員たちとつながり、日々の実践の喜びを分かち合っていることなどを報告。全ての出来事を仏の慈悲と受けとめられるようサンガと共に精進していくと誓った。

この後、庭野会長が登壇。法話の中で庭野会長は、人間が神仏に合掌・礼拝(らいはい)する時には、無心であり、敬虔(けいけん)な気持ちになり、「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」(三毒)からも離れて、神仏と一つになっていると示した。一方、再び現実の生活に戻ると、自分の至らないところが見えて、反省し、仏のような慈悲深い人間になりたいと願って、さらに神仏に礼拝するようになると強調。この繰り返しの実践が尊いことであり、「信仰とは、限りない理想を目指して、絶えざる向上を図っていくこと」と述べた。

その上で、柔道や茶道、剣道などでは、「型」に従って稽古を繰り返して技が磨かれていくと明示。佼成会の「お役」や、朝夕のご供養も、それぞれ一つの「型」であり、これにより、「我(が)」を取り去り、仏と一つになる修行を行うことができると述べた。

さらに、「星辰(せいしん)の如(ごと)く、急がず息(や)まず」という言葉を紹介。太陽や月、星の動きのように、急がず、休むことなく、繰り返し精進を重ねることが信仰生活の上で、また人間の心意気としても大切と説いた。