戦争は政治と人類の敗北――コロナ後の世界に向け教皇が新回勅(3) 海外通信・バチカン支局

『新しい出会いの道程』と題する第7章では、「真理、正義、慈悲心を基盤とする平和」について記されている。この中で教皇は、平和な社会――そこでは「一人ひとりが自らの家に居る」といった主体的な感覚を持つことが重要だと指摘。「全ての人を巻き込む“職人の手業”のような平和の構築が求められる」とし、「一刻として休めない、終わりの無い課題」を皆で解決していく必要性を示した。

また「平和と赦(ゆる)しとの関連」について、赦すとは、処罰しない、忘れるということではなく、「正義と、(人類が犯した過ちの)記憶を思い起こし、破壊的な悪の力と報復を放棄することでもある」と説明。ユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)、広島と長崎に投下された原爆、迫害や民族虐殺などが与えた“恐怖”は永遠に記憶され、「集団意識の灯明」として保持されなければならないと主張した。

さらに教皇は、戦争とは“過去の亡霊”ではなく“恒常的な脅威”であり、「あらゆる権利の否定」「政治と人類の敗北」「悪の力と、その深淵(しんえん)への降伏」であるとして非難する。現在の世界を「あらゆる紛争が結びつき、断片的な第三次世界大戦が行われている」と分析し、「核兵器の廃絶は、倫理的、人道的な義務」と訴えた。加えて、「世界で死刑制度が廃止されるように」と呼び掛け、終身刑をも「隠された死刑」との考えを示した。

第8章のテーマは『世界で友愛に奉仕する諸宗教』。ここでは、「暴力」とは、どのような宗教的確信も基盤とせず、宗教の名の下に行われる暴力はその歪曲(わいきょく)によるものと非難した。「“憎むべき”テロは、宗教に由来するものではなく、さまざまな宗教聖典の誤った解釈」であると断じ、直接の原因は、「飢餓、貧困、不正義、抑圧を生み出す政治にある」と指摘する。「あらゆるテロは、金銭や武器、マスメディアによって支援されてはならず、世界的な安全保障と世界平和に対する犯罪として責任を追及されなければならない」というのだ。

また、「諸宗教間における平和は可能だ」との確信を表明。そのためには、「全ての信仰者に対して、人間の基本的人権である信教の自由が保障されなければならない」と主張する。

最後に教皇は、昨年2月に自らがイスラーム・スンニ派最高権威機関「アズハル」(エジプト・カイロ)のアハメド・タイエブ総長と署名した「人類の友愛に関する文書」を挙げ、世界の諸宗教の指導者が「世界平和の構築に向けた権威ある調停者」となっていくための方法を提示。「人類友愛の名によって、対話の道、共なる協力を行動形態とし、相互理解を根本としていくように」とのメッセージを表し、新回勅を結んだ。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)

※記事はバチカン「広報のための部署」が公表した教皇新回勅の要約文を参考にしています。カッコ内の引用文は要約文からのものです