誰も一人では救われない――コロナ後の世界に向け教皇が新回勅(1) 海外通信・バチカン支局

第1章、第2章の内容

新回勅は全8章からなっており、第1章には『閉ざされた世界の陰』というタイトルが付けられ、「世界的な問題には、全世界で行動する必要があり、(分断を生む)“壁の文化”を拒否する」との姿勢が表明されている。現代世界の「陰」とは、民主主義、自由、正義の概念の歪曲(わいきょく)、社会性や歴史的感覚の欠如、利己主義や共通善に対する無関心、経済的利益を最優先する市場原理と使い捨て(人間を含む)の文化、失業、人種差別、貧困、人身と臓器の取引などだ。こうした世界的な問題には、全世界の協力と活動が必要であり、それを阻止しようとする、ポピュリストたちの“壁の文化”を否定した。

『路上の異邦人』と題する第2章では、世界各地でつくられるさまざまな「壁」に対し、「愛は橋をかける」と主張し、聖書にある「善きサマリア人」の姿を引用して論じている。「善きサマリア人」とは、強盗に殴打されて傷ついて路上に倒れている旅人を、通りかかった一人のサマリア人が手当てし、慰め、励ます姿を伝えるもので、キリストが隣人愛の大切さを説く際に例示したエピソードだ。

当時のユダヤ人社会で、サマリア地方の住民は蔑視され、差別されていた。新回勅で教皇は、差別により自身に起こるさまざまな内的、外的なものを含めた「我」を忘れ、見知らぬ人であっても、その不憫(ふびん)な境遇に同情し介護するサマリア人を、偏見や個人的利益、歴史的、文化的な障害を乗り越えた存在であると説明。「倒れ、苦しむ人を抱え、包摂し、立ち上がらせるような社会の構築に参画する責任」を具現する者の姿として紹介している。その上で、「愛が橋を築き、私たちは愛のために創造された」と説き、「“普遍的に愛する”能力は、開かれた世界を考案し、生み出していく」と訴えている。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)

※記事はバチカン「広報のための部署」が公表した教皇新回勅の要約文を参考にしています。カッコ内の引用文は要約文からのものです