大聖堂で「朔日参り(布薩の日)」式典 映像をライブ配信 庭野会長が発心と精進の大事さ示す (動画あり)

大聖堂聖壇で、全国の会員に向けて法話を述べる庭野会長。コロナ禍の中で、仏教徒としてより良い生活を送る指針を示した

9月1日、大聖堂(東京・杉並区)で「朔日(ついたち)参り(布薩=ふさつ=の日)」式典が開催され、その模様がインターネットの動画共有サイトを使って配信(立正佼成会会員限定)された。会員は映像を視聴し、式典に参加した。

当日は、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われた。次いで、教団本部の栁田樹一時務部次長(財務グループ)が体験説法に立った。

信仰4代目となる栁田次長は、信者の幸せを願って精進に励む母親の姿やサンガ(教えの仲間)の温かさに触れ、信仰の道を歩んできた経緯を述懐。一方、自分には信仰の体験が乏しいと思い、教えの功徳を伝える自信が持てずにいたが、妻との会話を通して自身を見つめ直し、今すでに救われていると気づき、導いてくれた全ての人に感謝できた心情を発表した。

式典の様子(クリックで動画再生)

この後、庭野日鑛会長が登壇し、法話を述べた。庭野会長は、道元禅師が「本来、人間は(生まれながらにして)仏だと説かれているのに、なぜ修行しなければならないのか」と疑問を持ち、精進を重ねて悟りを得たことを紹介した。その上で、人は朝起きて、「人さまのために」と発心(ほっしん)し、それを日々繰り返して生きるのが修行と強調。道元禅師が「即是道場(そくぜどうじょう)」(今、自分がいる所が道場であるとの意)の精神を大切にしていたことを挙げ、「仏教では仏の心とは清浄心と教えられています。日々、発心をして、繰り返し修行していくことによって、心が大清浄になります」と示した。

また、人間は仏の教えを理解できる知性、感性、そして仏性を持ち合わせて生まれてくると説明。そうであるのに日頃、文句や小言を言うのは自らのいのちを粗末にする不殺生戒にあたるとし、「授かったいのちを人さまのために役立てることは、自分のためにもなっていきます」と説いた。教えを理解し消化して、人に伝えることは菩提心を起こした人間になることであり、「私たちは生んで頂いたことに感謝をして、文句を言わずに、今人間として素晴らしいいのち、身体を頂いていることを常に思い返して、精進をさせて頂くことが大事」と述べた。