第36回庭野平和賞贈呈式 ジョン・ポール・レデラック博士記念講演全文

癒やしの泉を湧き出させる

ノーベル賞を受賞した北アイルランドの詩人、シェイマス・ヒーニーは、著書『The Cure at Troy(訳:トロイの癒やし)』に次の驚くべき詩を残しています。

ゆえに復讐(ふくしゅう)のはるか向こう側で
大いなる変化が起きることを望め
さらに遠くの岸に
ここから到達できることを信じよ
奇跡を信じ
治療と癒やしの泉を信じよ

暴力的な対立のただ中でも、復讐の向こう側を目指し、道を切り開いていく驚くべき人々の存在を、私は常に目の当たりにしていました。個人的なレベルでは、知的かつ専門的なスキルは、心の準備を切り離し得ないことも理解していました。危害を永続化させている構造を変革するには、尊厳ある人間関係を築く必要があります。その関係の質は、私たちの内面的な営みの質に密接に結びついているのです。

どのような姿を示すかが大切

諸宗教の人たちとの交流や霊的な智慧からの学びを通して、時間の流れとともに、私は自分のメノナイトの信仰が深まり、使命感も増していることに気づきました。日本でのまとまった滞在は今回が初めてですが、私はこれまで「俳聖」と呼ばれ、人々に親しまれてきた松尾芭蕉の俳句や俳文に大いに感銘を受けてきました。私の経験の中から、諸宗教間に存在する宝物についてお話ししたいと思います。

まず、芭蕉と彼の弟子の一人であった宝井其角の会話から始めます。ある朝、野原を散歩した其角は俳句を詠みます。

あかとんぼ
はねをとったら
とうがらし

すると芭蕉は応えます。「これは俳句ではない。おまえはとんぼを殺してしまった。俳句は命を与えるもの。俳句とはこういうものだ」と。

とうがらし
はねをつけたら
あかとんぼ

私は芭蕉の『奥の細道』の俳文から、日々の旅の中に組み込まれた「間」を学びました。俳句のシンプルな構造の中に、内面を癒やし外界に向けて表現する力の源があることが、体験を通して徐々に理解できるようになりました。私にとって俳句は、日々の生活における平和の実践となっているのです。