温かい地域社会づくりを目指し草の根で活動する団体を支援 一食地域貢献プロジェクト

月に数回、食事を抜いて、その食費分を献金する「一食を捧げる運動」。その浄財によって今回の緊急支援が行われる

立正佼成会一食(いちじき)平和基金運営委員会は、平成26年から「一食地域貢献プロジェクト」を実施している。これは、全国教会の中から特定の教会が、同基金の浄財の一部を活用して、地元の非営利団体を助成するプロジェクト。温かな地域社会づくりの一助に尽くすことを目的にしている。昨年は30教会が取り組み、合わせて92団体を支援。これまでの3年間で、助成先は延べ225団体に上り、総額3747万2398円が各団体の活動に役立てられた。助成先の中から3団体の活動を紹介する。

海外から逃れてきた人々のあらゆるサポートの入り口に

NPO法人「名古屋難民支援室(DAN)」(名古屋教会が支援)

コーディネーターの羽田野さんは、難民認定申請者と何度も面談を重ね、申請手続きを進めていく。このほか、資料の翻訳や医療機関への同行など、諸活動を市民ボランティアが支えている

昨年暮れ、一人のアフリカ人女性が名古屋市内の弁護士事務所を訪れていた。3カ月前に難民認定された40代のAさん。この日は、「名古屋難民支援室」コーディネーターの羽田野真帆さんに近況報告するため足を運んだ。生活上の心配事や体調などを身ぶり手ぶりを交え、母語ではない英語で話すAさんに対し、羽田野さんはメモを取りながら丁寧に答えていく。

「真帆さんには感謝の気持ちしかないわ。いつか、国から家族を日本に呼び寄せたい」と女性は言う。

開設から5年、同支援室がサポートしてきた難民認定申請者の中で、Aさんは認可が下りた初めてのケースだった。

日本の難民認定審査は欧米先進国に比べて厳しいといわれる。一昨年の申請者数は過去最多の7586人に上ったが、認定されたのはたった27人だった。羽田野さんは「難民とは、何らかの理由で生命や自由が脅かされているため、母国を離れ他国に逃れなければならない人々。近年、日本に庇護(ひご)を求め逃れてくる外国人が増え、東海地方でも1600人を超えています」と指摘する。

東京の次に申請者の多い東海地方(名古屋入国管理局管轄区域)で地道な活動を展開するのが同支援室。専属スタッフの羽田野さんのほか、弁護士有志と市民ボランティアで運営している。

主な活動は、難民認定のための法的支援と「医療・食事・住居」などの生活支援。難民条約の定義に当てはまることを証明するための聴き取りや情報提供、申請書作成の助言などを行う。申請手続きを進める傍ら、日本での生活を維持していくためのサポートもボランティアの協力を得て進められている。また、生活困窮者に無償で食物を提供するフードバンクなどの支援団体につなげ、セーフティーネットを確保することも活動の一つだ。

一方、難民が地域で孤立しないための取り組みも行われている。公民館などで料理教室を開き、難民申請者の母国料理を地元住民らと一緒に作りながら親睦を深め合う。

昨年、同支援室に寄せられた難民申請や生活に関する相談は100件以上。「今後は、個人や団体などに協力の輪を広げ、より難民申請者の声に適(かな)った活動を展開していきたい」と羽田野さんは語る。

同支援室の英語名は、“Door to Asylum Nagoya(DAN)”。「見つけてホッとするドア」「頼りがいのあるドア」を意味し、「地域の難民のために、あらゆる支援の入り口になりたい」との願いが込められている。

名古屋難民支援室(DAN)のウェブサイト
http://www.door-to-asylum.jp/

子どもたちが安心して過ごせる“居場所”を

NPO法人「寺子屋方丈舎」(会津教会が支援)

ボランティアの女性と一緒に親子丼づくりに挑戦する子どもたち。「子ども食堂」では、調理器具を使って“自炊力”を身につけることも目的の一つだ

福島県会津若松市で、不登校児童・生徒への教育支援事業を行うNPO法人「寺子屋方丈舎」は一昨年9月から、地域の小中学生を対象に「子ども食堂」を開いている。

「子ども食堂」とは、貧困家庭や孤食の子どもに無償または安価な費用で食事を提供する民間の取り組み。全国各地で市民有志や団体によって運営されている。

方丈舎では毎週火・水・金曜日の16時から19時(中学生は18時から20時)まで、生活協同組合の厨房(ちゅうぼう)やコミュニティーセンターの調理場を借りて同食堂を開設。学生や市民ボランティアが子どもたちの宿題などを手伝った後、一緒に夕食作りに取りかかる。主菜の献立は、子どもたちが話し合って決める。学習支援と調理を組み合わせた活動を通して、子どもたちに安心して過ごせる“居場所”を提供するとともに、生活の改善や学びへの好奇心を身につけてもらうことが願いだ。

方丈舎の場合、運営資金は寄付や民間の助成で賄われ、野菜や米など食材の多くが地元の農家や企業、寺社から無償提供される。参加者に費用はかからない。寺子屋方丈舎の江川和弥理事長は、「親だけが子育てに携わればよいとする社会通念が、親を孤立させ追い詰めます。ひとり親世帯の増加や子どもの貧困率の上昇など子を取り巻く環境が厳しくなる中、地域で支え合いながら子どもを育んでいく体制づくりが望まれます。子ども食堂は、地域社会で子育てを支えるための基礎のような取り組み」と語り、地域の人々を巻き込んだ子育ての重要性を強調する。

現在、10代から70代まで35人がボランティアとして活動。それぞれが都合のつく開催日に参加し、調理や宿題の手伝い、遊び相手をする。市報を通じてこの取り組みを知り、昨年9月からボランティアとして参加する主婦の宮森由美子さん(61)は、「子どもたちとの触れ合いがやりがい。調理の合間に、食育の大切さも伝えたい」と話す。開設当初から携わる会津大学3年の貝沼諭依(ゆい)さん(22)は、「地元とつながったボランティアがしたかった。子どもたちと友達になれて、僕自身が力をもらっています」と語る。

方丈舎では今後、この取り組みを県内各地に広げていくため、福島県社会福祉協議会と連携して「子ども食堂」開設講座を実施する予定だ。江川理事長は、一年間の活動を振り返り、「子ども食堂で得た経験やノウハウを志のある方々に伝え、地元で生かして頂きたい。困難な状況にある子どもたちの心が少しでも楽になるよう、今後も力を尽くしたい」と意気込みを語った。

寺子屋方丈舎のウェブサイト
https://www.terakoyahoujyousha.com/

薬物依存症者に心身の回復を

「香川DARC(ダルク)女性ハウス」(高松教会が支援)

1985年に開設した「DARC」は、薬物依存症者のための回復支援施設。現在、全国の約90拠点で活動を行う。写真は、「香川DARC」のミーティング

現在、日本には薬物乱用者が200万人以上いるといわれる。覚醒剤や危険ドラッグを密売人から直接入手する方法だけではなく、近年は、インターネットで入手できる薬物も流通していることから、乱用者は10代から20代の若者を中心に年々増加している。

香川県高松市で薬物依存症者の回復を支援するリハビリ施設「香川DARC(ダルク)」は2011年12月から、入寮と通所の形式で薬物依存症に苦しむ100人以上の患者を受け入れてきた。毎日、ミーティングや運動などの回復プログラムが行われる。

ここで生活する入寮者は常に2人以上で行動し、相部屋で共同生活をするため、男性に限定されていた。そこで昨年1月、女性の患者も入寮で受け入れ回復に専念できる環境を整えようと、同施設代表の櫛田さゆりさんが「香川DARC女性ハウス」を立ち上げた。同ハウスは12人の入寮が可能で、回復のための電話相談などを随時受け付けている。「香川DARC」のスタッフを兼務する櫛田さん自身もかつて薬物依存症に苦しんだ一人で、回復プログラムを経て社会復帰できたという。

櫛田さんは、「薬物依存は回復するまでに長い時間のかかる病気です。刑罰を受け、本人の反省や周囲からの愛情をもってしても、薬物からの離脱は困難です。自らの生き方を深く見つめ、同じ境遇の仲間と共に薬物に手を出さなくても済むような“心身の回復”を目指すことが、立ち直る道なのです」と強調する。

「香川DARC」と「香川DARC女性ハウス」の回復プログラムの大きな特徴は、毎日2回行われるミーティングだ。依存症者同士がテーブルを囲み、「過去の自分がどんな状態だったか」「現在はどういう状態か」「これからどうなりたいか」の三つの問いについて一人ひとりが正直に語り、周囲は批判や意見を一切せずに耳を傾ける。そうすることで、話し手は安心して自分をさらけ出せる解放感を味わい、聴き手は同じような心の痛みを持つ仲間がそばにいる安心感を得る。この取り組みによって、自分の弱さと向き合い、生き方を見つめ直し、薬物に頼らない人生を取り戻すことができる。

櫛田さんは、「今後も、薬物依存に苦しむ女性たちが、ありのままの姿を認め合うことで救われる場所を提供していきたい。一食平和基金からの浄財による支援に感謝します」と語っている。

香川DARC(ダルク)のウェブサイト
http://kagawadarc.boo.jp/darc/

一食を捧げる運動

月に数回食事を抜く、あるいはコーヒーなどの嗜好(しこう)品を控えて、その食費分を献金して国内外の諸課題に役立てる運動。
http://www.ichijiki.org