終末期を支えるために宗教者ができること 普門メディアセンターでビハーラ講座

講座の後半では、参加者を交えてディスカッションを実施。この中で、一人の参加者から、利用者の遺族の声が紹介された。遺族は、大切な人を亡くした途端、それまで関わってくれた医療関係者や福祉職員との関係が終わり、突如、葬儀の手配に入らなければならず、悲しみを抱えたまま、相談することも癒やすこともできないとし、遺族の心情を受けとめてくれる方法はないのかと投げ掛けた。

これに対し、介護職員の男性が、宗教者の医療・福祉への関わりの可能性を知り、僧侶が、利用者がなくなる前からその家族と関係を築き、死後も関わることはできないのかと提案。一方、この日参加した僧侶からは、社会福祉協議会や地域包括支援センターと日頃から関わりを持っていない寺院が多いとの指摘がなされた。さらに、檀家(だんか)の葬儀が突発的に起こり、施設から要請を受けても対応できるかは難しい面もあるとの課題が示された。

講座終了後、三浦氏にこのディスカッションでの話について聞いた。三浦氏は福祉施設から招かれ、職員が利用者の死が迫っていることを家族に説明する際に、僧侶として同席することがあるという。利用者が亡くなっても、慌てない心構えを家族につくってもらうことが目的だ。その場合に、「生きておられる状態で、このお話をするのは大変失礼ですけれども……」と前置きをして葬儀について触れ、どんな葬式にするのか、式場の当てはあるか、親族はどれくらいいるかを尋ね、家族と一緒に考えていくのだと話す。

三浦氏は、「どんなに悪い病状でも大切な人の回復を願うご家族に、死んだ後の話をするのは、ひどい話であり、大変なことです。それでも、『あの時、言ってもらえてよかった』と葬式の後に言って頂くので、私はお話しするようにしています。とても過酷な役ですが、それは宗教者だからできることです」と語った。