『ミャンマーの平和と発展への諸宗教による展望』をテーマにしたセッションでの庭野日鑛会長のスピーチ(全文)

本会が母体となって設立された庭野平和財団という公益財団法人がございます。その財団では、毎年、宗教協力を促進し、世界平和の推進に顕著な功績をあげた個人または団体に「庭野平和賞」をお贈りしています。ここにおいでのグナール・スタルセット師も、「第30回庭野平和賞」の受賞者であり、それ以前は、庭野平和賞委員会の委員長を務めておられました。そして、本年の「第35回庭野平和賞」は、レバノンのNGOである「アディアン財団」が受賞しました。ご存じのように、レバノンでは、政治的、宗教的な分断が、大きな課題となっています。

私が注目したのは、アディアン財団が、「個々人の間、コミュニティーの間の多様性が、豊かさ、相互理解、創造的発展、持続可能な平和に結びついていく」――つまり、多様性は「弱み」ではなく、「強み」であることを証明する教育を目指していることです。しかも「アディアン財団」は、具体的な教育を、レバノンの教育・高等教育省など公的機関と連携し、教科書を作成し、公式のカリキュラムとして実施しているのであります。

中・長期的な視点で国づくりを行うには、人の育成が最も重要であり、またそれがレバノンという大きな困難に直面している国でも実現可能であることを知り、大変勇気づけられました。私どもも見習うべき貴重な取り組みであると思います。

時間が限られているため、本日は、「菩薩の精神」と「平和教育の重要性」というテーマに絞って、お話しさせて頂きました。

2年前の4月、WCRP/RfP日本委員会は、日本の東京で、「ミャンマーの宗教指導者を迎えての公開シンポジウム」を開催し、ミャンマーの歴史や現状を学び合いました。宗教上の対立など、諸課題があることも承知しています。

先ほど、「地涌の菩薩」について触れましたが、それを象徴するのが、蓮の花であると言われています。蓮の花は、泥水をいとわず、しかも泥水に染められずに、泥水が濃ければ濃いほど、大輪の花を咲かせます。困難な状況があるからこそ、諸宗教者が協力して、努力、工夫を重ねることが重要であり、その中で、おのおのが宗教の本質にかえり、やがては「共に生きる世界」という大輪の花を咲かせることを暗示しているのではないでしょうか。

ミャンマーの皆さまが、一歩一歩前進していかれることを切に願い、私の発表と致します。「チェーズーティンバーデー」(ありがとうございました)。