大聖堂で涅槃会 釈尊の遺徳を偲び、報恩感謝を捧げる

釈尊の生涯を振り返るとともに、入滅時に説かれた「自灯明・法灯明」の意義をかみしめ、仏道精進を誓う「涅槃会(ねはんえ)」が2月15日、立正佼成会の大聖堂(東京・杉並区)はじめ全国各教会で行われた。

大聖堂には、約3500人が参集。当日、聖壇上には、釈尊が入滅した時の様子を表した涅槃図が掲げられ、式典では、その意義を伝える映像作品が上映された。この後、読経供養が行われ、導師をつとめた庭野光祥次代会長が、庭野日鑛会長の啓白文を奏上した。

続いて、体験説法に立った狩野光敏福島支教区長は、父の失踪により、母と兄の3人の暮らしを余儀なくされた幼少期を振り返った。この中で、母親が佼成会に入会し、貧しい生活にもかかわらず、教えを支えに子育てにあたり、周囲の困った人たちに対しても手を差し伸べていた姿を紹介し、その母の姿から利他の精神の大切さを教えられたと語った。

さらに、東日本大震災での経験を紹介。甚大な被害の中で、本当の幸せを見つめ直し、サンガ(教えの仲間)をはじめ多くの人々と支え合ってきた日々を述懐した。

この後、庭野会長が登壇。法話の中で、人間が大自然の恵みによって生かされ、その感謝を忘れてはならないと教えているのが宗教であると強調した。また、宗教の「宗」の字には「もと」という意味があり、「宗教」とは、人間が生きる上で「もとになる教え」に由来すると説明。文明が発達した今日、多くの人が自分の力で生きていると思いがちであるものの、現実はそうではなく、生かされて生きていることの自覚を促すのが宗教の役割と述べた。

加えて、人間は誰もが年を取り、やがて最期を迎えるとし、自らが限りあるいのちであることを理解すると、周囲の生きとし生けるものへの愛情や感謝が自身の中に起こさしめられると説示。「そういう人間性を取り戻すところに宗教の意義」があると示し、教えに基づいて生かされて生きていることを自覚して、世の中が平和になるようにと人に伝えていくことが大事と述べた。

涅槃会

釈尊が入滅したとされる2月15日に行われる法要で、釈尊生誕を祝う「降誕会」、釈尊が悟りを開いた意義をかみしめる「成道会」と並ぶ仏教三大行事の一つ。約2500年前に釈尊は6年の苦しい修行の後、苦行は意味のないものと知ってそれを捨て、菩提樹の下で瞑想(めいそう)に入り、悟りを開いたとされる。以後、生涯にわたり布教伝道に努めた。80歳で体調を崩した際、弟子の阿難に対し、自身と法を灯明とし、自身と法を依りどころにして生きなさいという「自灯明・法灯明」を説いた。死期を悟った釈尊は、インド・クシナガラで沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に横たわり、弟子たちに「全ての現象は移りゆくものである。怠らず努めよ」との言葉を託し、涅槃に入った。