釈尊が悟りを開いた意義をかみしめる「成道会」
仏教三大行事の一つで、釈尊が悟りを開いた意義をかみしめ、報恩感謝の心でさらなる菩薩行の実践を誓う「成道会」が12月8日、大聖堂(東京・杉並区)をはじめ全国各教会で行われた。大聖堂には会員約3300人が参集。法話に立った庭野日鑛会長は、「成道」の意義に触れ、当たり前のようにある日常生活への感謝や、子供を育てる家庭環境の大切さを説いた。
釈尊は約2500年前、生老病死の「四苦」や人間の幸福について悩み続け、王子の座や家族を捨て、出家した。6年間の苦行を経て、インド・ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想(めいそう)し、空に明けの明星がきらめいた時、宇宙の真理を見抜く智慧(ちえ)を得て、悟りを開いた。この際、釈尊は「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想・執着あるを以(もっ)ての故に証得せず」との心境であったと仏典は伝えている。「成道」とは、悟りの完成を意味し、「成道会」は、釈尊が誕生した「降誕会」、入滅した「涅槃会(ねはんえ)」と並ぶ仏教三大行事の一つに当たる。
式典では、こうした釈尊の成道を解説するアニメーションを上映。読経供養では、導師をつとめた川端健之理事長が庭野会長の「啓白文」を奏上した。
続いて、米沢教会支部長(57)が体験説法に立った。7年前に支部長に就いた頃の、金銭問題を繰り返し起こす壮年部員との関わりを振り返り、当初、彼を「どうしようもない人」と否定的にとらえていた心情を吐露。教会長から、親のような心で接し、相手を理解するようにとアドバイスされ、触れ合いを重ねる中で、一方的に相手を決め付けていたことに気づいた体験を発表した。壮年部員のありのままを受けとめるように心がけたことで、相手の苦しみが理解でき、寄り添えるようになったと語った。
また、仕事の忙しさから教会で姿を見かけなくなっていたサンガ(教えの仲間)との関係に悩んだ過去に言及。表面的な言葉のやりとりだけになっていた自らの姿勢を見つめ直し、相手の忙しさを理由に、自身が心に壁をつくっていたと反省した胸中を述懐した。その後、何度も自宅を訪れる中で、互いに笑顔が増え、心が通い合うようになった喜びを語った。
この後、法話に立った庭野会長は、当たり前のことが当たり前に過ぎる日常に感謝することが「感謝の本質」と指摘。生かされて生きていること、先祖や両親のおかげで今の自分が存在していることが「大事な感謝すべきこと」であり、この感謝ができれば不平不満は出ず、腹が立った際には反省して感謝に気づいていくことが、幸せな生き方と強調した。
さらに、子供を育てる家庭の大切さに触れ、子を育む家庭を、稲の苗を育てる「苗代」に見立て、「子供が健全に育ち、青少年が立派に成長していく一番の元」と説示。父親は子供から尊敬される姿勢を示し、母親は深い愛情をもって接する大切さを語った。
なお、式典終了後には、パイプオルガンによるランチタイムコンサート「妙音のしらべ」が開催され、「松明の踊り」「一心敬禮」「威風堂々」など7曲が披露された。