『諸宗教の死生観と看取りの実践』テーマに 東洋英和女学院でシンポジウム

『諸宗教の死生観と看取りの実践』をテーマにしたシンポジウムが10月7日、東洋英和女学院大学大学院(東京・港区)で行われ、市民や関係者59人が参加した。公益財団法人・国際宗教研究所と東洋英和女学院大学死生学研究所の共催によるもの。大正大学地域構想研究所助教で、浄土宗法源寺の髙瀨顕功副住職、金光教気仙沼教会の奥原幹雄副教会長、GLAの山田弘子理事がそれぞれ講演した。

「ひとさじの会」代表の髙瀨氏

この中で、髙瀨氏は、代表を務める路上生活者の支援団体「ひとさじの会」の活動に触れ、メンバーの僧侶たちが路上生活者への炊き出しや夜回りなどを行う傍ら、「仲間と同じ墓に入りたい」という路上生活者の要望を受け、合同墓を建立したことを紹介。浄土宗における「極楽浄土」とは、迷いの世界の輪廻(りんね)を離れ、悟りを開く場所であると同時に、先立たれた大切な人との再会を果たす場所でもあると説明した。一方、僧侶にとって社会活動はこれまで、極楽往生につながる修行のメーンストリームではないとされてきたが、「ひとさじの会」参加者の多くが活動を通じて信仰を深めていることから、社会活動を現代的な修行の一つに捉えられると、自身の解釈を示した。

「金光教の死生観」について語る奥原氏

一方、金光教の奥原氏は、教祖の「生きても死にても天地とはわが住家と思えよ」という言葉を引用。人間は死後も「御霊」となって「天地(神)」の世話になり続けることから、死は恐怖や忌避の対象ではないと受けとめる信仰観を解説した。

また、近年は親や伴侶を自宅で看取る信者が増えてきていると報告。在宅で近親者を看取った信者の中で、近親者の死を通して神の働きを感じたといった体験や、死別の苦しみという経験によって他人の痛みや苦しみが理解できるようになり、神仏への祈りが深まったといった事例を詳述した。

GLA理事の山田氏

山田氏は、GLAの教えでは、人の命は、「永遠の時を生きる魂として存在する」と説明。死は「魂の修行としての通過点」であるため、葬儀では、故人の足跡を、生前に縁があった人々と振り返ることに重点が置かれ、故人の人生の記録や遺骨を納める施設が本部に完備されていることを紹介した。

この後、「医療現場での実践」として埼玉県内のホスピスで病棟長を務めるGLAの井口清吾氏が登壇。井口氏は、終末期医療の現場では、医療者の燃え尽き症候群などにより、残された遺族をサポートするグリーフケアが十分に行われていない現状を指摘した。その上で、40年にわたる自身の医療の取り組みを振り返り、信仰の深まりとともに、死を前に気持ちが揺れる患者とも向き合え、心に触れられるようになったと説明。「人々の人生には意味があると思えたことで、私自身が患者さんに癒やされた」と述懐し、患者と医療者の双方が心を通わせ、共に癒やされる看取りの重要性を提言した。

質疑応答では、「死に向かう時間をどう捉えているか」という参加者からの質問に対し、井口氏が、「人はこれまで生きてきたように死んでいきます。病気には痛みも伴うので、はっきりと人生を振り返ることは難しいかもしれませんが、魂としての自分を見つめていくことが大切だと思います」と答えた。