内藤麻里子の文芸観察(69)

阿部智里さんの『皇后の碧(みどり)』(新潮社)は、これぞ令和に送り出すにふさわしいと言いたくなるようなファンタジー小説である。アニメにもなった和風大河ファンタジー「八咫烏(やたがらす)」シリーズで知られる著者の、新たな挑戦だ。

北方の土の精霊である少女ナオミは、火竜(ドラゴン)に襲われたところを風の精霊・孔雀王ノアに救われ、その城で女官見習いとして仕えていた。ある日、風の精霊を統べる蜻蛉帝(せいれいてい)シリウスに見込まれ、「私の寵姫(ちょうき)の座を狙ってみないか?」と誘われる。彼には皇后の他に、火の精霊と水の精霊である寵姫が2人いた。

こうなると後宮で女たちの争いが始まるのか、あまりに古びた展開すぎやしないかと危ぶんだが、そんな心配は杞憂(きゆう)だった。

なぜ自分が選ばれたか分からないナオミだが、蜻蛉帝には「我が城、巣の宮にてその謎の答えを探ってみるがいい」と言われ、巣の宮に行けば、宦官長(かんがんちょう)に「あなたはこの城のどこに行ってもいいし、どこで何をなさってもいいのです」と言われる。どうも先に持ったイメージとは勝手の違う物語が進行していくようだ。

そもそも蜻蛉帝は恐ろしい存在だ。かつて風の精霊の国では、鳥の一族と蟲(むし)の一族の間に大きな戦(いくさ)が起こり、勝った蜻蛉(とんぼ)の精の王シリウスが皇帝として君臨している。欲しいものを手に入れるためにはどんな暴挙もいとわず、宝物を奪い、美しい娘を召し上げ、気に入らなければ殺してしまう。実は現在の皇后イリスも、元は孔雀王の妻だったのを美しさゆえに奪い取ったのだ。けれどイリスが皇后になって以降、蜻蛉帝の気性は随分と穏やかになったと噂(うわさ)される。

 巣の宮で何をしていいか分からないナオミだったが、おつきの侍女がイリスにある疑惑を持ったことから事態は動き出す。ナオミは状況を、巣の宮の在り方の特徴を必死に考える。自分はなぜ選ばれたのか。やがて思ってもみなかった真相が判明する。

随所で物事や人心の一般的な意味と、その裏に潜む真実が判明する瞬間が鮮やかに描かれる。ダブルスタンダードの危うさや、言葉の真意が持つ厳しさを鋭く突き、物語の核にあるのは男性性と女性性の反転だ。そこが令和に送り出されるべきファンタジーと言うゆえんなのである。戦争が続く現実の世界情勢にささやかな一石を投じる試みに心ふるえる。

物語世界を十分に楽しみつつ、ここにある企(たくら)みを味わってほしい。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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