内藤麻里子の文芸観察(61)

東山彰良さんの『邪行(やこう)のビビウ』(中央公論新社)は、戦争小説とファンタジーを融合してカジュアルに書いているように見せながら、この作家ならではのどこかいびつで滑稽で、現代に地続きの切迫感を漂わせている。

ベラシア連邦のルガレ自治州では、独立を訴える反乱軍と政府軍の戦闘が続いていた。ここはベラシアの独裁者、ジロン・ジャンによる領土拡大路線で、統合された土地だった。ルガレには死者を歩かせ、家に連れ帰る術を操る「邪行師(やこうし)」がいた。その1人である17歳の少女、ビビウ・ニエは今日も戦闘で死んだ反乱軍の兵士たちを歩かせ、「夜行列車」と呼ばれる列を導く。

中国の影響が垣間見える術式や、夜行動する習わしなど邪行師のガジェットは古風だが、戦争は現代的だ。終わりなき戦闘の倦怠(けんたい)や、戦場の日常風景を乾いた筆致で描き出す。密告が常態化している独裁国家の恐ろしさ、愚かさを時にコミカルにつづる。ところが一方で、ビビウが一緒に暮らす邪行師の大叔父、ワンダ・ニエは日本のマンガが大好きで、それゆえに「夢や希望や世界を信じる強い心」を信奉し、屈託がない。この取り合わせに大きな亀裂を感じ、読んでいると居心地が悪くなるのだ。

今の世界情勢を彷彿(ほうふつ)とさせるような舞台設定に、マンガが飛び込んでくると、虚構の世界に現実の生々しい刃が刺さったような印象がある。マンガがあまりにも私たちの身近にあるせいだろうか。けれどそれゆえに、現代と地続きという感覚が無理やりでも生じるように思う。ベラシアの首都ではかつて「国際コミック・フェスティバル」が開かれたこともある。陳腐な言い方を許してもらえるなら、マンガは平和の象徴でもあると思うが、そういうストレートな描き方をしていないのが本書の特徴だ。

物語は「ヴォルク」という土着の強盗殺人集団が暗躍したり、政府軍の中尉がこちらの死者も家に帰らせようと邪行によって遺体を集める場所を作ったり。戦場ではとんでもない事態が進行し、ビビウはいや応なく巻き込まれていく。心に大切な思い出を秘めた彼女が、ひとりその事態に立ち向かう。

その姿は崇高で胸うたれる。しかし、物語は徹底してクールに進む。そして最後にささやかなやすらぎをポンと置く。こういう感じが東山作品なんだと改めてかみしめた。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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