内藤麻里子の文芸観察(60)

永嶋恵美さんの『檜垣澤(ひがきざわ)家の炎上』(新潮文庫)は、明治末から大正にかけて、横浜の上流社会を生き抜く娘の野望をミステリー仕立てで描いた、濃(こま)やかな物語である。文庫書き下ろしだ。

上流社会が舞台なので山崎豊子の『華麗なる一族』の風味あり、きらびやかな姉妹が登場するため谷崎潤一郎の『細雪』の風味ありと、本書の宣伝文句は言う。しかし、こう紹介するのが無粋なほど、力強く読む者をグイグイ引き込んでいく。

高木かな子は明治37(1904)年、横浜で手広く商売をする檜垣澤要吉の妾腹(しょうふく)の娘として生まれた。元芸者の母が火事で亡くなり、7歳で檜垣澤家に引き取られるが、父は卒中の発作で倒れ、寝たきりで意識もない。尋常小学校に通いながら父の世話をするのがかな子の役目で、寝起きするのは女中部屋の一角だ。ところがある日、蔵から出た小火(ぼや)に気づき、大事に至らなかった「恩人」として、屋敷本館に部屋を与えられることになる。

この家の家政も事業も取り仕切るのは、女傑として知られる要吉の妻・スヱ。次代を担うスヱの娘・花、さらに花の娘・郁乃が跡継ぎに控え、女系で盤石の構えを見せる。かな子は花と腹違いの姉妹になるわけだが、年齢的には郁乃の妹たち、珠代、雪江よりさらに下だ。

珠代には恋人と会う時のカムフラージュに使われ、雪江には着せ替え人形よろしく遊ばれ、女中たちには妾腹だからあなどられつつも、理不尽さに耐える。あらゆることに聞き耳を立て、人の腹を探り、顔色を読んで身を処していく。もはやあっぱれなほど虎視眈々(こしたんたん)と、実力と足場を築くことに意識的な主人公である。

周囲を彩る女性視線の上流社会のありようが面白く、珠代と雪江の結婚をめぐる経緯も一興だ。ここに怪しい人物や、事件、家族の謎が次々と絡んできて気を逸(そ)らさない展開。さらに最初は典型的なお嬢様だったり、とらえどころのない書生だったりする登場人物たちの描写が徐々に厚みを増し、立体的に見えてくる。

物語は大正12(1923)年、かな子19歳(数えで20歳)の年までつづられる。謎は二重三重に重なり、事態は急転する。かな子が解き明かした驚くべき檜垣澤家の真実とは。そして急転した状況で、惨憺(さんたん)たる現実に直面したかな子はどうする――。

文庫にしては厚みある1冊だが、一気に読んでしまった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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