内藤麻里子の文芸観察(50)

第二次世界大戦中のドイツ各地に、「エーデルヴァイス海賊団」という少年少女たちによる反体制グループがあったという。そんなことは全く知らなかった。逢坂冬馬さんの『歌われなかった海賊へ』(早川書房)は、そんな知られざる歴史的存在に命を吹き込んだ。さらに、彼らを取り巻く善良なる市民の罪深さも描き出し、我々に突きつけてくる。

総合学校(ゲザムトシューレ、前期中等教育機関)の歴史教師が出した「この市と戦争」を課題にしたレポートに、ある老人に話を聞くとだけ書いてきたトルコ系移民の生徒がいた。彼は問題が多く、老人は近所でも評判の変人だった。気になった教師は老人宅を訪れ、一冊の本を渡される。そこにつづられていた、1944年夏から始まる少年少女たちの物語の幕が開く。

密告により父を処刑されたヴェルナーは、「エーデルヴァイス海賊団」を名乗るハーモニカを吹く少女、エルフリーデと、町の名士の息子、レオンハルトと知り合う。ヴェルナーと、さらにもう1人仲間に加わり4人組の海賊団になった。

レオンハルトは言う。「ナチなんてクソであり、そう思う自分たちはここにいる。それを示したいという気持ちだ」。その言葉通り、禁止された外国のラジオ放送を傍受し、飲酒し、反戦ビラを作る。全国各地に海賊団はいるが組織立ったものではなく、ある種の不良集団がそれぞれに自己主張しているのだが、当局は弾圧を強めていた。ヴェルナーらは、各自の事情でナチ党の支配する体制に居場所のない異質な者たちで、「ここにいる」とばかりに躍動するのだ。政治的ではない反体制と言おうか。その在り方が哀(かな)しくてたまらない。

4人組は町から延びるレールの先にあるという操車場に不審を抱き、鉄道をたどる冒険に出る。その先に見た衝撃の事実に、彼らはある行動に出る。町の人々にも助けを求めもする。しかし、ここであぶり出されるのは善良な人々の不作為だ。隠された事実であったが、大人ならそうと察する気配はあり、けれど見て見ぬふりをする。知らなかったふりをする。体制に迎合する。そうしなければ生きて来られなかった時代であることは承知の上で、この作家の筆は揺るがない。さらにその生き方は戦後どころか、現在までずっと続くありさまを描き出す。

読み終えて、とても平静ではいられない。差別と分断は営々として続き、善良ゆえに心得てしまう処世術は醜いけれど、自分もそうしている一員なのだ。本書はドイツを舞台にしているが故にある程度冷静に読めるが、重い荷物が受け渡されたと思う。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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