内藤麻里子の文芸観察(26)

若者にこんな思いをさせてはいけない。西加奈子さんの『夜が明ける』(新潮社)を読んで、つくづくそう感じた。ロスト・ジェネレーションの若者を描いているのだが、『漁港の肉子ちゃん』(2011年)、『サラバ!』(2014年)などで知られる西作品らしく、不思議な企(たくら)みに満ち、なおかつ心に迫る小説だ。

物語は「俺」と深沢曉(あきら)の高校時代から幕が開く。「俺」はある日、曉が190センチを超える容貌魁偉(ようぼうかいい)なフィンランドの俳優、アキ・マケライネンに似ていることを教えた。以来、「アキ」と呼ばれるようになった曉は、アキ・マケライネンをまねた。その効果もあって、ひどい吃音(きつおん)で内気だが優しいアキこと曉は人気者になる。俺とアキの、一風変わっているが、輝くような高校生活――。

しかしアキには、心を病んだシングルマザーの母がいて、アルバイトに精を出さなければ生活できなかった。高校卒業後は俳優を目指し、アルバイトを続けるものの、やや発達障害気味のアキは、要領のいい生き方とは無縁に流されていく。「俺」は高校2年で父を亡くし、奨学金を使って大学を卒業、テレビ制作会社に入った。AD(アシスタント・ディレクター)としての仕事は寝る時間もないほど過酷で、少ない給料からの奨学金返済と母への仕送りもあって疲弊していく。

私たちは今の仕事状況、生活環境が苦しくとも、自力で頑張らねばと汲々(きゅうきゅう)として生きがちだ。誰かに頼るなど思いもよらない。「俺」は、その視点に気づかせてもらうことになる人物だ。実は「俺」には名前がない。「俺」は私かもしれないし、たまたま街で隣を歩く人かもしれない。そんなことを思わせる仕掛けだ。

この物語には虐待、発達障害、構造的貧困、過重労働などの問題が詰まっている。こうした小説はリアリティーに徹しているのが一般的だが、西作品は趣が異なる。アキこと曉と、アキ・マケライネンの存在がそれを許さない。アキはあちこちにぶつかりながらファンタジーのような場所にたどりつく。よかったと胸をなでおろすと同時に、悲しさが際立ってくる。なぜなら、ファンタジーなのだから。

「俺」と「アキ」が絡み合って、極めて小説的に現代を描き出した。現実とファンタジーが交錯して、より悲しみがあふれる。それなのに、希望の光が見えてくる。

ところで、アキ・マケライネンを検索しても無駄だ。架空なのである。冒頭の9ページでアキ・マケライネンについて「俺」はこう紹介している。「すげぇ面白い奴。どんなに悲しい状況でも、どんなに苦しい人生でも、マケライネンが演じたらとにかく笑えるんだ。なんていうか、生きる勇気をもらえるんだよ」。確かに、そんな小説だった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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