内藤麻里子の文芸観察(23)

ベストセラーとなった『神様のカルテ』(2009年)で知られる夏川草介さんは、長野県在住の現役医師でもある。そんな夏川さんの『臨床の砦』(小学館)は、自身が直面したコロナ診療の実態を看過できず、“緊急出版”した小説だ。ここに至って過去最多の感染者を出している現状に、物語から大きな警鐘が鳴り響いてくる。

消化器内科医の敷島寛治が勤務する信濃山病院は、地域で唯一の感染症指定医療機関だ。しかし規模は小さく、呼吸器や感染症の専門家はいない。感染症病床は20床まで増やし、重症患者は筑摩野中央医療センターに搬送しているが、この1年、まともな休みは取れずに年が明けた。それなのに年末から患者数が増えつつある。発熱外来は患者を院内に入れずにオンライン診療するため、時間がかかり、行列ができている。虫垂炎の患者を2時間待たせ、急変する事態も発生した。「医療崩壊」は起きていないと政府や自治体は言うが、一般診療には既に支障が出ている。

現場と政府の空気の乖離(かいり)に「圧倒的な情報不足、系統立った作戦の欠落、戦力の逐次投入に、果てのない消耗戦」という、太平洋戦争の敗戦に重なるような状況を見て取る医師たち。コロナ診察に関与してこない大規模病院、感染症病床を確保したといっても院内の対応に当たるだけで地域に開かれていない病院の存在など、不条理の数々。感染者数の増加とともに、いや応なく迫られる患者の選別――。

2020年末から21年2月までの経験をもとにつづられた医療現場の実態は、あまりにも衝撃的だ。医療従事者の家族への差別、院内感染も絡み、現場の過酷さは増す。

コロナ診療は一般の診療とは異なるという。患者との会話は原則モニター越しで、「医療の本質であるはずの人と人とのつながりが極度に希薄であり、そのことが現実感の欠如につながっている」。医療従事者は、疲弊しつつもそんなことを感じているのだ。

医師たちは医療と人間力で怒濤(どとう)の日々をしのいでいく。敷島は穏やかに、淡々と。外科医ながら応援に入っている医師はぼやき、内科部長は見た目では分からないが肝を据える。皮肉屋もいれば、ひっそり黙々と診察に当たる医師も。

本書は小説だから、混乱を切り抜けようとする医師たちの物語に希望を見いだすが、コロナ禍の闘いは終わらない。医療従事者の人間力に頼るのは限界だ、というより間違っている。まず総合的な戦略があって、それを補完するのが、人間力だろう。医師たちの悲鳴のような声に、焦燥感だけが募る。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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