内藤麻里子の文芸観察(19)
青山文平さんの『泳ぐ者』(新潮社)は、異色の時代小説だ。本格ミステリーの形を取って妙味ある謎解きをする縦軸に、主人公が生きる道を模索する横軸が絡み合う。そのどちらからも、現代の私たちの心を奪う光が投げかけられてくる。
片岡直人は「半席」だ。「旗本とは公方様への御目見が叶う御用を勤める者を言う。ただし、御目見以上の御用が一度だけでは一代御目見(いちだいおめみえ)の半席となり、当人は旗本になっても子は御家人のままに据え置かれる」というものだ。旗本になるためには、御目見以上の御用に二度つかねばならない。これは親子二代で実現してもいい。半席だった父の跡を継いだ直人は、無役からようやく徒目付(かちめつけ)となり、あとはただひたすら勘定所の勘定になって二度目の御目見を目指すばかりだ。
日々励む直人に、上役が正規の仕事以外の「頼まれ御用」を持ってくる。徒目付は幅広い仕事をこなすため、いろいろな相談事が寄せられるのだ。直人に持ち込まれるのは、事件が「なぜ」起きたのか解き明かすこと。下手人は既に捕縛され、事件を起こしたことは認めているが、なぜ起こしたかについては口をつぐんでいる。現代でも事件が発生し裁判が開かれても、事件を起こした理由を解明できないケースは多い。それを解くという切り口が、ミステリーとしての本作の新機軸だ。
物語は、離縁された妻が病身の夫を刺殺した事件の「なぜ」を解く御用から始まる。実は、本書は2016年に刊行された『半席』に次ぐ第2弾なのだ。前作で「なぜ」を解明すると、そこには必ず人間ならではの、どうしようもなく人臭い理由があった。今回は不本意な結果となり直人に悔恨を抱かせることによって、より複雑な人の心理に迫ると同時に、直人の視線に深みを与える。
さらに「なぜ」の解明に面白味を感じながらも、頼まれ御用をこなす意味と勘定への出世とのはざまで直人は揺れる。その先に待っていたのは――。現場の仕事に生きがいを見いだし、現場から全体を俯瞰(ふかん)するという多くの人が仕事をする姿勢に通じる姿をきっぱりと描き出す。
前作『半席』は連作短編で、謎解きの娯楽性が強かった。本作『泳ぐ者』は長編で、謎解きの中で直人が内省を繰り返していく。純文学的色合いの出た時代小説と言っていいかもしれない。前作を知らなくても問題なく読める。理知的でありながら、幕末に向かう情勢、上役や顔見知りの侍とのエピソードがうまい味わいを醸し出し、物語全体から人の情、機微がそくそくと伝わってくる。
プロフィル
ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。
内藤麻里子の文芸観察