内藤麻里子の文芸観察(8)

子供たちが主人公だが、しっくりと心に響いてくるのが、伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』(集英社)だ。短編集だからいろいろなシチュエーションがあって楽しいし、“コロナ疲れ”の心のビタミンとしてお薦めの一冊だ。

収録されているのは、「逆ソクラテス」「スロウではない」「非オプティマス」「アンスポーツマンライク」「逆ワシントン」の5編。まずは各短編のタイトルに、「どういう意味だ?」と興味がひかれる。それぞれ否定形である通り、何らかの常識、常態を否定してみせる物語なのだ。もちろん、主人公たちの行動がうまくいくこともあれば、「しまった」ということになるのもご愛敬である。

表題作は、転校生がクラスにちょっと軽んじられている存在・草壁がいることに気づいたことから物語が動き出す。そもそも草壁がそのポジションに陥ったのは、担任教師の一言だった。教師たちは将来優秀になりそうな子には期待をかけ、駄目そうな子にはそれなりにしか接しない。結果として子供は期待に沿った育ち方をすることがある。「教師期待効果」というのだそうだ。ならば、先生のその先入観を崩そうと行動を開始する。

「スロウではない」は、いじめと、自分の真の姿を隠していた転校生が登場する。「非オプティマス」では缶ペンケースを落とす授業妨害が描かれる。こうしたことをこの作家ならではの技巧を凝らしたストーリーテリングと、センスある小道具使いや会話に乗って読み進むと、はっとする場面に行き当たり、珠玉の言葉に出会う。

例えばそれは、これはこうだと決めつけて偉そうに何か言われた場合、立ち向かう方法だったりする。いわく、「僕はそうは思わない」と〈落ち着いて、ゆっくりと、しっかり相手の頭に刻み込むように〉言うことだ。これには、普段は流れに乗りがちな我が身を振り返って、そういうことがいかに大事かを痛感した。本書には心を支えるそうした言葉が詰まっている。あれもこれも紹介したいが、読んだときのお楽しみに、ここはぐっと我慢しよう。

つい、毎日をやり過ごすことに精いっぱいで雑事に紛れ、物事をよく考えられなかったりするが、本書はちょっと立ち止まらせてくれる。よく考えてみると、一つ一つのテーマは重いが、展開する物語は軽妙。それを読み終えたら、命の洗濯ができている。さわやかな一陣の風に吹かれ、生きる力がわいてくるのは、小説を読む功徳の一つである。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て90年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。