TKWO――音楽とともにある人生♪ クラリネット・小倉清澄さん Vol.2
小倉清澄さんが東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)に入団したのは、1985年。当時は、フレデリック・フェネル氏が常任指揮者を務めていた。後に桂冠指揮者となるフェネル氏との出会いや音楽家としての交流のエピソードなどを、TKWOに楽団員として最も長く在籍している小倉さんに聞いた。
“情熱の塊”との出会い
――小倉さんが入団した頃は、フレデリック・フェネルさんが指揮を務めていましたが
僕が入団したのは、フェネルさん(TKWO桂冠指揮者)が常任指揮者になって2年目でした。演奏をする上で、フェネルさんから受けた指示には、従来の常識からは外れたものもありましたが、とても共感できるものでした。
震えるような音色を出すビブラートという技法があるのですが、僕はこれが好きでした。しかし当時、クラリネットではこの技法を使わないのが一般的だったんです。ただ、フェネルさんだけは違って、「クラリネットはビブラートをかけろ」と言ってくれたんですね。もう、うれしくてしょうがなかったです。<俺の好きなように、吹きたいように吹いていいのか!>と感動しました。
――小倉さんから見て、フェネルさんはどのような人でしたか?
音楽を追求し、高めていくことをライフワークとした人でした。そのためには多少わがままなところもありましたが、観客はもちろん、われわれ団員たちに対してさえ飽きさせないパフォーマンスを、いつも心に留めている方でした。
僕ら団員が「フェネル節」と呼んでいる一つの演奏の流れがありました。これは、フェネルさんがサインを出したら、曲の終わりに向けて、楽団全体で曲を盛り上げていくものです。まるで、皆で山頂を目指して楽しく行進するようなイメージで、会場の熱気を一気に高めていく手法だったように思います。これも、リハーサルで練習していました。
フェネルさんは、日本とアメリカを3カ月ごとに行き来して生活されていました。コンサートを前に、3カ月ぶりに来日したフェネルさんと共に、リハーサルをしていたある時のこと。いつもの「フェネル節」が出てくる曲を演奏していても、この日は、そのサインが一切出ないんです。それが一度だけでなく、次の日も出ない。団員は皆、戸惑いました。いつ出てくるのだろうか。今日もなかったぞ、なんでだろう? と。
そして迎えたリハーサルの最終日。その日の最後の練習で、不意に「フェネル節」のサインが出てきたんです。僕らは安心しましたね。それと同時に、盛り上がりました。練習の最後の最後まで団員の注意を引くために、わざとサインを出さずにいたのです。「そういう手があるのか!」と思いましたね。このように、より良い音楽を求め、自分の世界観をつくり上げるためには、あらゆる手を尽くす。それは、団員との練習にまで考えを巡らせるという意味も含めてです。観客の想像や期待を超えるような演奏を届けようと力を入れる姿は、まさに、音楽への情熱の塊だと感じました。