自分らしくいられるように 聖路加国際大学キリスト教センター主任チャプレン ケビン・シーバー氏

チャプレンとは、一言で説明すると、スピリチュアルケアを専門とする聖職者のことです。専門教育と臨床実習を受け、資格を持っています。

キリスト教系の西洋の国から始まり、ヨーロッパ、アメリカでは、チャプレンの存在は当たり前になっています。病院やホスピスだけでなく、刑務所や軍隊、警察署、消防署にもいます。日本では、まだ、なじみのない存在ではないでしょうか。

街の牧師と病院のチャプレンの違いは、話すよりも聴く立場にあることです。相手の悩み、苦しみ、願いをありのままに受け入れ、共に歩み、支えます。また、布教を目的とせず、相手が無宗教者、他の信仰者であっても関係ありません。実際に、私の臨床現場である聖路加国際病院では、患者さんの話を聴いていますが、約8割の方が無宗教とおっしゃり、キリスト教徒は1割程度です。

当院は530床を備える総合病院で、私を含めてチャプレンが3人います。私たちは、緩和ケア科、腫瘍内科、ブレストセンター、救急部、小児科の五つの診療科のチームの一員として活動しています。このほか、医師や看護師から要請があれば、どこの病室でも駆けつけます。

スピリチュアルケアとは、カウンセリングの一種です。相手が自分の気持ちを吐露しやすいように、基本的に一対一で行います。相手の話に対して答えを出すのではなく、受けとめることを大切にしています。会話を重ね、築きあげた信頼関係に基づいて、相手の心に寄り添い、その人の強みや、苦しみを乗り越える力を導き出すのです。そうして、相手の「well-being(ウェル・ビーイング)」を取り戻すお手伝いをさせて頂きます。「well-being」とは、「幸福」「健康」と訳し、自分らしく、人間らしくいられる状態のことです。

世界保健機関(WHO)が掲げている緩和ケアの定義では、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対し、スピリチュアルな問題をも早期に発見して的確な対応を行う重要性が説かれています。人のトータル的な健康は、スピリチュアルな側面を抜きにしては語れないのです。

チャプレンの役割について語るシーバー氏

命の危機にさらされ、自分の生命の土台が揺れ動かされた時、または、大事な人の死に向き合う時、自分の生きる意味、存在意義、運命を左右する力は何なのかと、今まで考えなかったことが頭をよぎり、不安に駆られることがあります。私が寄り添う「スピリチュアルペイン」とは、このような不安に伴う痛み、苦悩を指します。心理的なものから、哲学的、宗教的なものまで幅広い範囲を占めます。

例えば、病気によって、これまでできていたことができなくなり、喪失感とともに、誰かに頼らないと生活していけないことに生きる気力をなくす人がいます。「早く死にたい」と希死念慮を抱き、医者に「殺して」と訴えることもあります。そうしたときは、医療者からチャプレンの介入が求められます。

またある時は、神や仏に怒りをぶつける人もいます。「なぜ、こんな病気になるんだったら、神は命を与えたんだ」「神や仏なんているもんか。いるのであれば、こんな目にはあっていない」。超越者に対する怒りを、代わりに受けとめるのも私たちの役目だと思っています。私自身がつらくなるときもあるのですが、その怒りを丁寧に聴くことで、相手が楽になれるのであれば幸いです。

宗教者にできることとして、一番は「祈り」です。ある人は、死による存在の消失を恐れていました。そのとき、不安や疑問、望みに耳を傾け、私が「不安です」と代弁して、一緒に神に祈り続けました。これまでにさまざまな方と共に祈りましたが、一度も「ダメです。やめてください」と言われたことはありません。皆さん、「そうだ、そうだ」と言うようにうなずかれ、一緒に祈ってくださいます。祈りの習慣がなかったとしても、専門家が祈ってくれることに、意味があると思ってくださっているのではないでしょうか。

日々、患者さんが「自分らしく」最期を迎えるため、準備の妨げとなる苦痛が緩和されるように努めています。少しでも「well-being(幸福、健康)」を取り戻し、その人がその人らしく人生を全うできるような支えになりたいと願っています。
(3月13日、聖路加国際病院での日本宗教連盟による第5回宗教文化セミナーの席上、『臨床現場におけるスピリチュアルケア:チャプレンの視点から』をテーマに行われた講演から)

プロフィル

ケビン・シーバー 1967年、米・テキサス州出身。91年に来日し、10年間企業に勤める。日本聖公会で聖職者の道を志し、米国のバージニア神学校に進学。2004年の卒業後、再び来日し、聖公会神学院を経て、三光教会(東京・品川区)、香蘭女学校に勤める。07年から聖路加国際病院での勤務を始め、現在に至る。