新たな視点で「共感力」育む社会づくりを 人類学・霊長類学者 山極壽一氏
人類は700万年前、チンパンジーと共通の祖先から分かれ、アフリカの熱帯雨林を出て、直立二足歩行となりました。200万年前に脳が大きくなり始め、7万年前に言語を持ちました。アフリカを出た人類は、ユーラシア、南北アメリカ、オーストラリアの各大陸に分布域を広げ、今、世界で78億人を超えたのです。
人類には、ゴリラやチンパンジーといった他の類人猿にはない「共感」という特徴があります。人類はどのように共感能力を得て、これを高めたのでしょうか? それは人類だけに備わった、食料を分配して食事を共にする「共食」と「共同保育」によってなされたのです。
例えば猿は、強い者が餌を独占し、分配しません。チンパンジーは要求された時だけ、たまに仲間に与えるだけです。
一方、人類は熱帯雨林を出て肉食動物に襲われる危険性が高まったことで、生き残るために女性や子供を安全な場所に残して屈強な者が食べ物を探しに行き、持ち帰った食料をみんなで分け合って食べるようになりました。この分配と共食を通して共感の能力を得たのです。
共同保育も人類の進化の過程で生まれました。類人猿は母乳での育児期間が5年程度なのに対し、人類は絶滅を避けるため多産となり、産後1年ほどで離乳するようになりました。離乳した子供はまだ歯も生えておらず、自力で母親につかまることもできないので、周囲の助けが不可欠です。
さらに人間は、幼少期はゴリラの3倍ほどある脳の成長を優先し、脳の発育が落ち着く思春期に体が急成長します。思春期は心身のバランスが崩れ、病気や事故などの危険にさらされやすいので注意が必要です。この離乳の時期と思春期に親だけでは子供を外敵から守り育てるのが難しいため、みんなで共同保育するようになりました。つまり、他の類人猿が自己の利益のために集団に属すのに対し、人間はみんなで子供を育てて暮らすために集団に尽くすようになったのです。
今、デジタル社会が到来し、身体的なつながりではなく、情報のつながりが重視されるようになりました。それにより、脳の「知能」分野だけが注目され、人工知能(AI)も開発される一方、情報として扱えない「意識」の領域は置き去りにされて、人類が培ってきた共感をはじめとする情緒的社会性が希薄になっています。現代は「不安の時代」と言われます。科学技術の発展で安全性は向上したものの、安心感は高まったとは言えません。安心とは人が与えてくれるものだからです。
こうした社会にあって、人間が生きる上で不可欠なものは文化です。文化は数値化できません。その本質は人間の意識の中に存在します。そして、文化は地域に根差しながらグローバルに共有することが可能です。
2001年にユネスコ総会で採択された「文化的多様性に関する世界宣言」では、複数の文化が接触し合うことが人類にとって大切であると示されています。文化的多様性は、今までわれわれが行使してきた「移動」「集まり」「対話」という自由によってつくられてきました。新型コロナウイルスの流行でこれらの自由は制約されましたが、自粛生活を余儀なくされたからこそ、人々はこの三つの自由の重要性に改めて気づき始めたとも言えます。
大きな視点で見ると、現代は仕事や職場、暮らしの拠点が定まり、日々の生活リズムが大きく変化しない、これまでの単線的な定住型から、仕事の種類や職場、拠点などを定めずに自由に生活する複線的な遊動型へと生活様式が変化しています。この現状を踏まえ、今後は新たな視点で社会性を再構築しなければならず、物や場所を所有せずに多くの人と利用し合うシェア(共有)、医療や教育といった全ての人に共通するコモンズ(公共財)が拡大されて、新しい文化と社交がつくられていくと期待しています。
コロナ禍後の社会に必要なことは、感染予防を意識した生活に加え、集団の規模に応じたコミュニケーションです。それは言葉だけでなく、食事やスポーツ、共同作業など五感を生かした交流を通じて互いに共鳴することです。それが、人類が得た“共感力”を生かした社会をつくることになります。
(昨年11月24日、「WCRP創設50周年記念式典・シンポジウム」の基調講演から。文責在編集部)
プロフィル
やまぎわ・じゅいち 1952年、東京都生まれ。京都大学大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学、理学博士。同大学院理学研究科教授を務め、第26代京都大学総長に就いた。日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長を歴任。現在、総合地球環境学研究所所長を務める。