動物から学ぶいのちの授業 旭川市旭山動物園園長・坂東元氏

キングペンギンの散歩は旭山動物園の冬の風物詩。エサを獲るために海まで歩く習性を生かした取り組みだ

1967年に開園した北海道の旭川市旭山動物園は、私が入園した86年には、閉園を噂(うわさ)されるような赤字続きの動物園でした。2002年、建物の老朽化に伴って施設を新設することになり、それが現在に至る転機になりました。新設するといっても、新たな動物を迎えるわけではないため、話題性があるとは言えません。しかし、施設の新設に際して職員の誰もが、「自分たちが素晴らしいと思っているものを、共感してもらいたい」という願いを持っていました。それが再生の出発点になりました。ショーを催したり、芸をさせたりするのではなく、野生動物に元々備わっている能力が最大限に発揮される環境をつくり、ありのままの姿、そしてそのすごさを伝えたかったのです。

獣医師で旭山動物園園長の坂東氏

「抱っこできる」「一緒に写真が撮れる」「エサやりができる」。来園者が動物と関わることのできる企画は、ウケるだろうと思っていました。でも、それはしませんでした。「ウケる」は、いずれ「飽きる」からです。ゾウやライオンを飼育して、お客さんが飽きたから別の動物に替えよう。私たちはそうは思いません。いのちは車のように、流行に合わせてモデルチェンジできないからです。

こんな経験をしたことがあります。1980年代、日本にはラッコがブームになった時期がありました。ラッコの一挙手一投足に熱い視線が注がれて、姿かたちが見えただけで歓声が上がるような状況です。そうして脚光を浴びる存在の一方で、陰に隠れてしまうような存在も出てきます。それはアザラシでした。当時、旭山動物園にラッコはいませんでしたが、アザラシはいました。この時期、私はアザラシの展示の前で来園者から「ラッコはいないのか」とか「ここには“ただのアザラシ”しかいない」と言われたことがありました。悔しかったですね。珍しいかどうか、かわいいかどうか。そうした見方は、いのちの価値に差をつける行為のように思えたからです。<薄っぺらな感情で動物を見るな!>と憤ったこともあります。その一方で、こうも思いました。「ただのアザラシ」と言われるような状況をつくったのは動物園ではないか、彼らの素晴らしさを伝えるために私たちは何をしてきただろうか、と。そうした反省を胸に「あざらし館」をつくりました。

特長は、通路の真ん中に透明な筒を床から天井まで通して、そこをアザラシが泳げるようにしたことです。来園者はその姿を全方向から見ることができます。これは、アザラシが水中を垂直に移動する習性を利用したものでした。限られた250トンの水の中で、どうしたら「アザラシらしさ」に目が向くか、水中を自由自在に泳ぐ能力の高さがストレートに伝わるか。それを一番に考えました。結果、筒の中を通る「ただのアザラシ」を見た来園者から、大きな歓声が上がったのです。うれしかったですね。

私は獣医師ですが、野生動物は医者にかかりません。彼らは、ケガや病気による痛みを受け入れて生きています。受け入れられなくなったら死を迎える。弱ったら別の生き物に食べられることもあります。遺骸が土にかえり、植物の栄養分になり、植物は動物に食べられる。こうした食物連鎖という大きないのちの循環が見えてくると、生と死がつながっていることが理解できると思います。

旭山動物園では6年ほど前から、動物が亡くなると、飼育場に「喪中」の張り紙を掲示するようにしています。動物園は人のエゴで生き物を閉じ込めている場であり、その罪を消すことは絶対にできません。だから、私たちは園内のすべての個体の死を公表しています。動物園が出生を伝えるなら、当然、動物たちの最期は「ありがとう」を伝えて送りたいと思います。いのちの大切さを伝えたいから、「生」も「死」も伝えたいのです。

動物を飼育している私たちは、いのちをつなぐという意味で、繁殖を目指します。それは絶滅危惧種だから、という理由ではありません。野生の動物たちは、例えば森林が伐採されるなどして住環境が変わると、自分が暮らしている場を次の世代にバトンタッチできる場ではないと感じるのか、子を産みません。自分たちの世代でいのちを閉じて、終わりにしてしまうのです。だから、動物園で新たないのちが誕生するということは、たとえ狭い飼育場であっても、「ここが自分の生きる場」と認めてくれたとも言えるのです。

ここで、少子高齢化の問題が叫ばれる日本について考えてみましょう。もしも私が「日本人」という動物の飼育担当者だったら、生物学の観点から見て、この群れの年齢構成は異常だと思いますし、そろそろ絶滅する、と考えます。少子高齢化という現象は、産み育てることを躊躇(ちゅうちょ)する動物的な感性が、知らずしらずのうちに人々の間で働いているように思えます。それは、日本がいのちをつなごうと思えない社会に変容していることを暗示しているとも言えるのではないでしょうか。私たちはこれから、どのように生きていくべきか――そうしたことを真剣に考えなければならない時期に差しかかっているのだと、動物たちから教えられているように思えてならないのです。

(2月15日、立正佼成会旭川教会の「涅槃会」式典の際、『動物から学ぶいのちの授業』をテーマに行われた講演から)

プロフィル

ばんどう・げん 1961年旭川市生まれ。旭川市旭山動物園園長。86年に獣医師として同園に就職。95年から飼育展示係長、2004年から副園長を務め、09年から現職。動物本来の能力や習性を生かした「行動展示」を考案した。著書に『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ』(天理教道友社)、『夢の動物園』(角川学芸出版)など。