近代立憲主義と日本国憲法 早稲田大学大学院教授・長谷部恭男氏

近代立憲主義をとる日本国憲法には、「表現の自由」「信教の自由」「所有権の保障」など、国民の基本的な権利を守る条項が定められ、人がそれぞれの価値観に基づいて生きる自由が保障されています。

一方、各自が自分の価値観を際限なく押し通そうとし始めると、社会生活を送る上で深刻な対立が生まれます。そこで、個々の価値観によって不当に扱われたり、差別を受けたりする人が現れないよう、社会の便益とコストを公平に分かち合う社会の枠組みが必要になります。近代立憲主義はその手段の一つとして、「公」と「私」を区分したのです。

私たちの暮らしには、公的な領域が必ず存在します。例えば、子供たちが一人前の市民として社会生活を送れるようにするために、どのような学校教育が必要になるかを考えるのは、公的な領域の話です。この時、人がそれぞれに自分にとって大切だと思う事柄を教育の場に持ち込むと、学校は混乱し、機能しなくなります。自由が保障されているといっても、人々が、自分の価値観を脇に置いて考えなければならない場合があるのです。

憲法と一般の法律は、どこに違いがあるでしょうか。法律は国家権力が人々に課す、個人の自由を制限するものです。これに対し憲法は、人々の権利を守るため、国家権力を縛るためのものです。その上、憲法は全ての法律の上に立つ最高法規とされていますから、憲法に違反して法律をつくることはできません。

ここからは、さらに近代立憲主義における、憲法と法律の関係について考えてみたいと思います。

例えば、日本の道路交通法では、車両は道路の左側を通行することが定められています。これは、「車両で道路のどちら側を通行するかは自分で判断したい」という自由に対する制限のようにも見えます。自由の制限が認められるのは、先ほど説明した「公的な領域」に関わるからです。全ての車両が道路の左側を走行するとの決まりがあれば、スムーズかつ安全に車両を運行することができ、事故の危険が減ります。これは社会の利益にかなうことであり、一部の人の利益を不当に損ねるものでもないので、この法律による個人の自由の制限は許されるのです。

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