【JVCパレスチナ事業現地代表・大澤みずほさん】即時停戦に向けて最大の関心を

写真は全てJVC提供

昨年10月7日以降、パレスチナ・ガザ地区で暮らす人々は、イスラエル軍の侵攻を受けて、深刻な飢餓に直面している。認定NPO法人日本国際ボランティアセンター(JVC)のパレスチナ事業現地代表として、今回の紛争以前からガザ地区の子どもたちの栄養改善事業に携わる大澤みずほさんに、現地の人々の願いや和平実現の可能性、日本にいる私たちにできる支援について聞いた。

私たちを忘れないで

東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ地区を包括するパレスチナでは、イスラエルの占領下でパレスチナ人が暮らしています。ヨルダン川西岸地区にはイスラエルの軍や警察が常駐し、イスラエルの入植者によってパレスチナの人々が自宅を収奪されたり、軍に拘束されたりしてきました。

――現地の状況と、軍事侵攻によるJVCの活動への影響は?

ガザ地区でも、今回の侵攻より前からイスラエル軍によって陸・海・空を封鎖され、人や物の移動が極端に制限されてきました。このため経済は衰退し、生活に困窮した結果、子どもや妊産婦の多くが栄養失調に陥ったのです。JVCではこうした状況を改善するため、2002年から現地パートナー団体のアルデルインサーン(AEI)と共に、栄養を含む子育ての知識を備えた「女性ボランティア」の育成や子どもの健診、保護者へのカウンセリングを行ってきました。昨年4月からは、立正佼成会の一食(いちじき)平和基金の協力で事業が強化され、これまでに5歳以下の子ども806人の健康診断を実施し、治療が必要な子どもを適切な医療機関につなぐことができました。

ところが、昨年10月以降、イスラエル軍による空爆と地上戦が続き、パートナー団体のスタッフや支援を受けた母子は避難を余儀なくされました。多くの母子の行方が今も分からないため、子どもたちの命と健康が心配です。

JVCは、今年4月から侵攻前の活動地域で支援を再開。避難所となっている学校の部屋を借りて、子どもたちを対象に簡易的な健診などを行っている

ようやく今年の4月から侵攻前の活動地域に戻り、避難所となっている学校の部屋を借りて、避難する子どもたちへの簡易的な健診による栄養状態のチェックを開始。栄養ビスケットとミルクの配布などの人道支援をどうにか行えるまでになりました。しかし、地区の建物はほぼ破壊され、ほとんどの住民が避難者という中で、軍は地区内に搬入される支援物資を制限しています。イスラエルは、あらゆる手段でガザ地区の人々を“生きられない状態”に追い込んでいるのです。

――悲惨な状況に置かれたガザ地区の人々の思いとは

JVCの現地スタッフは、幸い生活する地域に大きな被害がなく、自宅で家族と暮らすことができています。でもそれはごくまれで、AEIのスタッフたちは今も、侵攻から逃れようと避難先を転々としており、「避難勧告が出されるたびに移動を強いられ、疲れ果てた」と言います。

そんな中、現地の女性ボランティアたちが、それぞれの避難先にいる妊産婦たちに、子どもの栄養面や衛生面での注意点を自主的に指導していると伝え聞いて、JVCの活動が無駄ではなかったと実感しました。

また、現地活動を通して知り合ったパレスチナ人の友人のアマル・アブ・モアイレック(32)は、ガザ地区の社会課題を工業技術で解決する会社を経営する2児の母で、今は家族で避難しています。彼女は9歳の時に、立正佼成会の「親子で取り組むゆめポッケ」でゆめポッケを受け取って以来、日本のことが大好きになったそうです。日本語で希望を意味する「アマル」の名の通り、いつも希望を失わない彼女ですが、先日、避難先から「生きたくても何の保証もなく、どこにも安全な場所がない」「奇跡でも起きない限り、この(戦闘)状況は終わらないかもしれない」とのメッセージがSNSを通じて送られてきました。そこには、一刻も早い停戦を求める彼女の切なる願いがある一方で、停戦が極めて困難であることも身をもって感じている不安が表れていました。

ガザ地区をはじめパレスチナには、人間としての自由を奪われて苦しみながらも、ただ支援を待つのではなく、誰かの支えになる喜びを求める方がいます。また、イスラエルとパレスチナの中には共存を願う人たちもいますが、戦闘が長引けば双方の憎悪の感情が増幅されて取り返しのつかない状況に発展しかねない。だからこそ一刻も早く停戦し、命と財産がこれ以上奪われないようにしなければならないのです。

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