【浄土宗僧侶・西村宏堂さん】LGBTQ当事者の僧侶が説く、自分らしく生きることについて

©Masaki Sato

“ハイヒールをはいたお坊さん”と呼ばれ、浄土宗僧侶、メイクアップアーティストとして活躍する西村宏堂さん。LGBTQ(性的少数者の総称)の当事者であると公言し、その経験を踏まえて、仏教精神を基に、性別、人種、宗教などの違いに関係なく皆が平等であるというメッセージを発信し続けている。西村さんに、活動の原点にある思いや、自分らしく生きるためのヒントを聞いた。

悩んでいるのは一人じゃない

――自身の性についてどのように考えていますか

体や戸籍上は男性ですが、子どもの頃から、男の子が好きなんだと感じていました。おしゃれも大好きで、よく母のワンピースを着ては踊っていました。

しかし、小学校に入ってから、「西村くん」と性別で分けた呼ばれ方になり、自分自身に話しかけられていないように感じて……。プールの時間に男子用の水着姿になることにも抵抗がありましたね。

高校時代、私の学校では男女のグループがはっきりと分かれ、心を許せる友達ができずにつらかったです。「同性を好きな気持ちがばれないように」――その一心で、人と接することを避けて過ごしていました。それなのに、「あいつオカマでしょ?」と背後から声が聞こえた時は、人格を嘲笑(あざわら)われたようでとても傷つきました。

そんな中、ネットを通して世界中の同じような悩みを持つ同年代の子たちとつながったことが、私にとって最初の救いとなりました。LGBTQならではの悩みをチャット内で交わし合い、「悩んでいるのは一人じゃない」と勇気をもらったのです。

海外への憧れが強くなった私は、18歳の時、アメリカに留学しました。ボストンで短大を卒業し、ニューヨークの美術大学に通い始めた時、LGBTQ当事者であることを隠さない学部長や友人と出会いました。彼らの姿勢から、決して後ろめたさを感じる必要はない、ありのままの私でいいんだと、自分を認められるようになったのです。

このような経験を持つ私ですが、体の性と性自認がはっきりと異なっているトランスジェンダーではありません。男性、女性という二元論では割り切れないところに私の性自認はあり、振り返ると、全ての苦の根源がそこにあったのです。そうした気づきを得た今、私が伝えたいと思うことは、性の在り方はとても多様で、心の性、表現する性、人を好きになる性を無理に決めなくていいということです。

――僧侶になる決断をしたきっかけは

私は浄土宗のお寺に長男として生まれました。両親に、「僧侶になってほしい」と言われたことはありません。けれども周囲は、父に「男の子が生まれて安心ですね」と伝えていました。小学校の同級生からは、「お経の練習は? いつになったら髪、剃(そ)るの?」と言われ、〈私の人生を周りが勝手に決めないでよ!〉と心の中で反発し、仏教から遠ざかっていました。

しかし、美大生時代、「自分らしさ」を課題で表現できず行き詰まりを感じていた時、2年間の休学をして兵役に臨む覚悟を表現した、韓国人の同級生のパフォーマンスアートを見たことが、転機となりました。大学を離れる寂しさや兵役に就く不安を受け入れて、普段からは想像できないほど大きな声を出して兵役中の生活を演じる姿が、人生の課題に真正面から立ち向かっているようで、私は心を打たれました。この時、自分も変わりたいと思い、初めて僧侶になることを決意したのです。一番避けていたものと向き合うことで、「自分らしさ」が生まれるのではないか、発端はそんなところでした。

(写真提供・西村氏)

また、アメリカでメイクアップアーティストとしても活動していたので、僧侶の修行をしたら自分のメイクがどう広がるか、世界にどんなメッセージを届けられるようになるかとも考えました。そう思うと、仏教は私に何を伝えているのか、だんだん興味が湧いてきたのです。

ただ、修行を始めるには、両親へのカミングアウトが心残りでした。私が同性愛者であると知ったら、両親はがっかりし、私は家には二度と戻れないのではないかと怖かった。でも、このままでは何も変わらないと、意を決して両親に「お付き合いをしている人がいるんだけど、実は男性なんだ」と告げました。すると、両親は嫌な顔一つせず、いつもと変わらぬ態度で接し、ありのままの私を愛してくれました。その瞬間、本当の自分らしい、自由な人生がスタートしたような気がします。

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