【東京大学学生・庭田杏珠さん】戦争を自分事にする「記憶の解凍」

戦後生まれが人口の9割に迫り、戦争の実態を伝えることが困難になりつつある現在、戦前の日常を写した白黒写真をカラー化する「記憶の解凍」が注目を集めている。取り組むのは、大学4年生の庭田杏珠さん。戦争体験者の「記憶の色」を再現し、今の人々が戦争と平和を捉え直すきっかけをつくる――こうした活動の原点とは何か、話を聞いた。

被爆前の日常を知って

――現在の活動を始めたきっかけは

広島で生まれた私は、幼稚園の頃、平和教育の一環として、初めて広島平和記念資料館を訪れました。その日は、原爆で皮膚が焼けただれた様を表した人形などを目にしたショックで、夜も眠れなかったです。以来、小学校でも平和教育を受けましたが、戦争の悲惨な側面を知るたび、苦手意識が高まりました。

転機は小学5年生の時、広島市が発行したパンフレットをもらったことです。そこには、現在の平和記念公園と被爆前の同じ場所(中島地区)を比較した地図や、被爆前の日常の写真が載っていました。それを見ると、「ここには飲食店や映画館があり、川遊びも楽しめるような日常があったのに、一発の原爆で失われたんだ」と想像ができました。被爆後の惨状でなく、被爆前の日常に自分を重ね合わせたことで、平和教育への苦手意識が変化していったのです。

高校では、平和活動に取り組む委員会に入り、被爆証言の収録や核兵器廃絶の署名活動を行いました。その中で偶然、かつて中島地区に住んでいた濵井德三さん(故人)にお会いしました。原爆投下でご家族全員を失った濵井さんは、昔の写真を大切に持っていました。家族のことをいつも近くに感じてもらいたいと、濵井さんの写真をまずAI(人工知能)の自動色付け技術でカラー化したことが「記憶の解凍」の始まりです。

――白黒写真のカラー化とは、具体的にどのようなことですか

濵井さんからご提供頂いた写真を例に説明します。1935年、長寿園というお花見の名所に、家族や親戚、近所の方々と行かれた時のものです。

まず、AIのみでカラー化したものを濵井さんに見て頂きました。濵井さんは、背景の垣根の杉が青々としている様子をご覧になって、「杉の実を杉鉄砲の弾にして友達と遊んでいた」「この近くに弾薬庫があって幼心に怖かった」と、白黒写真では思い出せなかった記憶が、カラー化したことで新たによみがえったようでした。

一方、AIは木の葉を緑に着色しましたが、お花見の時期なので、実際には桜色だったと話してくださいました。また、皆さんがどういった服を好まれていたのかを伺うなど、濵井さんの「記憶の色」を基に手作業で色補正をしたのが、このカラー化写真です。

戦争を体験した方が家族を失った悲しみや惨状は、私のような世代が100パーセント理解することは難しいです。けれど、「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」という思いや、カラー化した写真からよみがえる当時の楽しかった記憶は、私たちでも「共感」を通して伝えられると思っています。

昨年11月、G7広島サミットの開催を受け、日本を除く参加国に日本の若者が派遣され、現地の青年と語り合う「若者たちのピース・キャラバン」に参加しました。私はイギリスとフランスに渡り、「記憶の解凍」の取り組みを紹介しましたが、現地の若者から「言葉にならない」と感想を頂きました。原爆投下前の日常を、被爆者との対話によってカラー化した経緯に感動したようです。平和への願いは、カラー化写真を通して、心に響かせることで国境を越えて伝わるのだと実感しました。

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