WCRP/RfP国際共同議長 庭野光祥次代会長に聞く 第10回世界大会を終えて
利害を超えて一致する道 神仏の声を聞き行動を
――開会式で、「私たちは、自分の国、自分の所属する宗教組織の利益のためにのみ、ここに集まったのではありません。時に危険さえ感じるような受け容れがたい『他者』をも受け容れるために、ここに集いました」とスピーチされました。どんな思いからですか?
世界では、自分たちを守るために、「Security(セキュリティー)」が最優先に考えられています。けれども、境界線や壁を築くことが本当に世界を平和にするのか、私たちはしっかり考える必要があります。
WCRP/RfPでは、「壁」を築こうとする現在の世界秩序に対するアンチテーゼとして「Shared Security(分かち合う安全保障)」、「Shared Well-being(分かち合う幸せ)」という、より積極的で新しい宗教的概念を打ち出しました。自分たちだけでなく、「すべての人が安全で、幸せであることを皆で推進すること」が必要だと考えるからです。
また、気候変動がもたらす影響は深刻で、次世代のために地球環境をどう残していくかという世代間倫理も重要なテーマです。私たちは目先の利益を追い求めるのではなく、未来に対して責任を持ち、行動していかなくてはなりません。それぞれの利害を超えて、世界全体、さらに未来の人々の幸せを願って取り組むことが、神仏の声を聞く宗教者の役割だと思っています。
――会員の皆さまへのメッセージをお願いいたします
「真理」とは、どこか遠くの神秘的な所にあるのではなく、身近な家族をはじめ、さまざまな人間関係の中にあると感じてきました。宗教指導者や国際機関の要職にある方々などが集う会合では、確かに難しい問題と向き合っていますが、人と人が出会う場であることに変わりなく、いかによい関係を築くかがとても大事になります。その意味では、会員の皆さまが家庭をはじめ地域や学校、職場などで実践されている、人さまとの触れ合いや布教伝道と何ら変わりはありません。
こんなことがありました。諸宗教者の会合で、ある方が「教えは違っても、みんな目指している所は一つ」「神さまの名前は違うけれど、本当は皆一つの神さま」と発言されました。私たち東洋人にとっては受け容れやすい考え方だと思うのですが、その後の休憩時間に、別の宗教者の方に、「あのような発言をされると、僕は宗教対話の道を見失うんだ。神さまは違うのに」と話しかけられたのです。
私は、その感想に驚きながらも、「この人もいつか、それが一つだと分かる時がくる」と思ったのです。しかし、その途端、「私は何て傲慢(ごうまん)なのだろう。人を尊重しているつもりでいながら、実は自分が正しくて、相手が間違っていると思っていた」と恥ずかしくなりました。自分が相手よりも分かっていると、相手を見下ろしていたことに愕然(がくぜん)としたのです。
日頃、「相手の立場に立つ」ことを教えて頂いているのですから、本来なら「この人はそう思うのだな」と受け取り、考えをしっかり聞くことが大事でした。
どこにいても、人との出会いを通して自分を振り返り、真理に沿った行動や触れ合い方を学ぶ日々です。私も会員の皆さまと同じ修行をさせて頂いています。