【復元納棺師・笹原留似子さん】死者と遺族をつなぐ 大切な人との最後の時間をより尊いものに
誰にも必ず訪れる別れ 「死」と向き合い対話を
――大切な人の死を受けとめることは難しいですね。
本当にそうだと思います。自分を責め、死を受け入れられずに閉じこもってしまうこともあります。けれどそれは、決して悪いことではありません。
例えば、東日本大震災では、多くの人が津波によって命を落としました。子を失った親は、助けられなかった自分を今も責め続けています。ですが、自分を責めるということは相手を深く思っている証しです。愛しているから、大切だからこそ湧いてくる苦しい気持ちを大事にして、後悔や自責の念もひっくるめて自分と相手の関係性を見つめ直すことが、再び立ち上がり、前進する力につながるのです。
「誰も悪くない。その人がいてくれたからこそ、これまでの楽しかった時間があり、今があるのです。故人も同じ思いではないですか」と、私は納棺の時間にお伝えさせて頂きます。
私が代表を務める株式会社「桜」(岩手県)には、遺族の方々が遊びに訪れます。皆さん、お茶を飲みながら、故人の思い出や自分の抱えるどうにもできない気持ちなどを話して帰られます。
中には、大切な人を失った悲しみから、他者がうらやましく見え、自分だけが不幸だという思いを吐露していく人もいます。私はそんな思いを否定しません。それでいいんです。誰かに話して言葉にすることで、大切な人の死に向き合うための入り口に立てると思うからです。
――現代社会は「生」と「死」が身近に感じられないように思うのですが。
今の日本は、何にでも保証を求める社会です。生死にも保証を求めようとする。しかし、生にも死にも保証はありません。なので、死が立ちはだかると、どうしていいか分からなくなり、パニックになってしまう。「もう何もない。もうだめだ」と全てをあきらめてしまうのです。
長年、死と向き合う現場で働いてきましたが、多くのご縁を通して「死」というものが私に教えてくれたのは、「明日、生きている保証はないよ」という、とてもシンプルなメッセージでした。だからこそ、「今」という時間は二度と来ない価値のあるものだと私は思います。
「死」は決して不幸なものではありません。大切な人を失っても、その人が残してくれたこれまでの関係が、自分の今を支えてくれます。お祝い事は人生の節目ですが、誰かの死もまた人生の節目です。それは、故人の節目ではなく、残された人々の節目となります。つらく苦しいけれども、相手との関係を見つめ直し、自分と対話することで、これまで見落としてきた大切なものに気づくことができます。人の死を経験することで、他者に優しくなる。生きていることが当たり前ではなくなり、一日一日を大切に過ごせるようになるのではないでしょうか。
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プロフィル
ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。