【高野山真言宗生蓮寺住職・高畑公紀さん】仏の教えを象徴する蓮を愛で 人とつながり、心安らぐ社会を
「蓮華」ともいわれ、仏教の理想を表すとされる「蓮の花」。高野山真言宗生蓮寺(奈良・五條市)の住職を務める高畑公紀さんは、15年前から蓮に魅了され、さまざまな品種を育てている。今では120種類300鉢を栽培。参拝者の目と心を和ませ、地域おこしにも一役買っている。昨年、『見る、育てる、味わう―五感で楽しむ蓮図鑑―』(淡交社)を出版した。人を引きつける蓮の魅力、仏教における蓮の意味合いなどについて話を聞いた。
仏教観を凝縮した蓮華の五徳 自らを磨き、精進する大切さ
――蓮が仏教を象徴する存在とされるのはなぜですか?
蓮の性質が仏教的で、宗教性を帯びているからだと思います。私は大学院で植物版のiPS細胞を研究するため、さまざまな植物を調べてきましたが、その中で、蓮の花弁はピンと張っていて緊張感があり、紅白や黄色に彩られて幻想的です。神々しさを感じます。撥水(はっすい)性の高い葉の上で転がる水滴も水晶の玉のように輝き、神聖な雰囲気を醸し出します。
加えて、生育環境も独特です。蓮は蓮根(地下茎)が泥の中で育ちますが、泥に染まることなく水面上に茎を伸ばし、大空に向かって花を咲かせます。その様子は、「人は誰でも、どんな時も社会の不浄に染まらずに、仏と同じように清らかな心を保つことができる」という仏教の教えに通じます。これを「淤泥不染(おでいふせん)の徳」といい、「蓮華の五徳」の一つです。
このように、蓮の姿や性質の神秘性になぞらえて仏の教えを伝えることができるので、蓮は仏教のシンボルとされてきたのです。
――他の徳についても教えてください
「淤泥不染の徳」に加え、「一茎一花の徳」「花果同時の徳」「一花多果の徳」「中虚外直(ちゅうこげちょく)の徳」があります。
蓮の花は基本的に、一つの茎に一つの花を咲かせます。このことから、「人は皆、誰の代わりでもない、唯一無二の存在である」というのが「一茎一花の徳」です。
また、実際の花と種ができる時期は異なるのですが、花が咲くと同時に種ができると思わせるほど、蓮は神聖な植物とされています。それと同じように、「人は生まれながらに仏と同じ尊い特質や心、すなわち仏性を具(そな)えている」というのが「花果同時の徳」です。
一輪の花から多くの種ができ、その種から別の蓮の花が咲くように、「自らの悟りを多くの人が幸せになる機縁にできる」というのが「一花多果の徳」。中は空洞で外側は硬い茎が、太陽に向かって一直線に伸びる姿から、「仏の教えを基に我欲を空にして、脇目も振らずに悟りを目指しましょう」という教えが「中虚外直の徳」です。
「蓮華の五徳」では、こうした徳を胸に心を磨く大切さが説かれています。
――蓮の楽しみ方とは?
寺院や植物園での観賞も楽しいですが、自分で蓮を育ててみることをお勧めします。蓮は池で栽培するものと思われがちですが、鉢でも栽培できます。種や蓮根から成長させるのはそれほど難しくなく、大きな鉢が必要な品種もあれば、丼茶碗(どんちゃわん)ほどの容器で足りるものもあります。詳しい育て方は生蓮寺のウェブサイトや、拙著で紹介しています。
蓮は、花が咲き終わると枯れますが、泥の中で蓮根は生きており、翌春にまた芽を出します。その様子から、いのちのつながりや全ての物事は常に変化するという真理を体感できると思います。仮に蓮根が枯れても、そのはかなさを実感し、限りある生を全うすることの大切さを知るきっかけにもなります。
また、ご近所の方に蓮を見せたり、種をお裾分けしたりすることで、仏教を自然に話題にできるかもしれません。蓮は仏教そのものですから、そうして教えも広まることを願っています。
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