【東洋大学名誉教授・森章司さん】釈尊の生涯と教団の形成史 28年間の研究で明らかに

「共に成仏する」メッセージ 人間釈尊の姿から感じて

――研究を通して浮かび上がった釈尊のイメージとは

釈尊の印象を聞くと、多くの人が人格の完成を成し遂げた偉人と答えるのではないでしょうか。しかし原始仏教聖典には、釈尊の“失敗”に関する記述もたくさんあります。

釈尊は69歳の時、遊行でコーサンビーという町に立ち寄りました。この時、現地の比丘の一人が、トイレで使用する水を補充しなかったため、一部の比丘から戒律違反だと責められます。しかし、その程度では罪にならないと擁護する別の比丘たちもおり、両者は対立して争い始めます。

それを見かねた釈尊は、「実にこの世においては、怨(うら)みに報いるに怨みを以(もっ)てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」という『法句経』の一節を比丘たちに説き、争いを止めようとしたのです。

ところが、比丘たちは、「これは私たちの問題ですので、釈尊は一人で瞑想(めいそう)でもしていてください」と言い、釈尊の教えを受け入れませんでした。すると釈尊は、侍者の阿難にも告げずに一人で町を出たそうです。表現が適切かは分かりませんが、きっと釈尊は失意の中にあったのではと推察します。

研究の集大成「釈尊および釈尊教団形成史年表」と、裏付ける聖典の概要を記す「総覧」

また別の聖典には、釈尊が教団の形成に“失敗”した記述があります。成道から10年ほど経過した頃、釈尊は増え続ける比丘の全員に関われず、出家希望者が「三宝帰依(さんぼうきえ)」の覚悟を示し、それを直弟子が認めれば比丘になれるようにしました。

しかし、釈尊の目が行き届かないため、衣の着方を知らなかったり、食事の行儀が悪かったりする比丘が現れ、世間から非難を受けます。そこで釈尊は、10人以上の高僧による出家希望者の面接を行い、出席者全員に了承された者しか比丘になれないという戒律「十衆白四羯磨具足戒(びゃくしこんまぐそくかい)」を制定しました。これが、後に教団運営の基本的な規則となっていくのです。

原始仏教聖典の中に登場する釈尊は、とても人間的で親しみが湧きます。と同時に、一人の人間である釈尊が悟りを得て「仏陀(ブッダ)」となったわけですから、私たちも必ず「仏に成れる」のです。立正佼成会は、信仰的な交わりを通して一人ひとりが成仏を目指す団体ですね。私はぜひ会員の皆さまに、釈尊の生涯を知り、その教えに沿った生き方をすることで、「一緒に仏に成りましょう」というメッセージをお伝えしたいのです。

――今年3月から、監修を務めた開祖記念館企画展示が始まりましたね

お釈迦さまを支えた在家信者たち」と題して、12月15日まで法輪閣特別展示室で開催されます。展示の見学を通して釈尊の生涯を知り、興味を持ってくださればと思います。

また今年11月には、研究の集大成として「釈尊および釈尊教団形成史年表」と、それを裏付ける聖典の概要を掲載した「総覧」を発刊する予定です。そこで研究は一区切りとなりますが、研究成果は公開されますから、その資料を基にし、いつか後進に釈尊の生涯を包括的にまとめた伝記を著してもらうことが私の願いです。

そして、研究を通し、釈尊が実在したこと、また多くの先達の布教伝道によって今、自分の元に教えが伝わっている事実を皆さんに感じて頂けたら有り難いですね。

プロフィル

もり・しょうじ 1938年、三重県生まれ。東洋大学名誉教授。中央学術研究所講師。同大学院文学研究科仏教学専攻博士課程修了。博士(文学)。92年から「原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究」に取り組み、その成果をまとめたモノグラフ(23冊)を著した。著書に『初期仏教教団の運営理念と実際』(国書刊行会)、『仏教がわかる四字熟語辞典』(東京堂出版)など多数。