食から見た現代(21) 小さないのちに寄り添う――母乳バンクの取り組み  文・石井光太(作家)

もらい乳からドナー・ミルクへ

昔も、母親のお腹から極低出生体重児として生まれてくる赤ちゃんは一定数いた。しかしながら、極低出生体重児の死因と粉ミルクとの関係性が今ほど指摘されなかったのには、理由がある。

日本には“もらい乳”といって、母乳の出ない母親の子が、母乳の出る別の女性からお乳を分けてもらう伝統があった。病院でも、それと同じようなことが習慣として行われていたため、母親のお乳が出る出ないにかかわらず、大半の赤ちゃんが母乳によって育てられていたのである。

こうしたことが変わったのは、2010年代頃からだ。もらい乳が原因で集団感染が起きたことで、病院側がもらい乳をすることを止め、粉ミルクで代用するようになったのである。

実際はこれによって、極低出生体重児の赤ちゃんが、前出の感染症や壊死性腸炎などによって命を落とすことが増えたと思われる。ただし、この頃は他に選択肢がなかったこともあって、そのリスクが殊更大きく取り上げられることはなかった。

水野氏が母乳バンクと出会ったのは、日本の病院で粉ミルクの使用が当たり前になっていた時期だった。2005年に西オーストラリア大学へ研究のために留学したところ、たまたま国内初の母乳バンクの立ち上げに遭遇した。現地での注目度の高さに驚き、海外の動向を改めて気づくことになったものの、この時は自分が先駆者となってそれを日本に導入するとは想像もしていなかった。

分岐点は2011年のことだ。日本に帰国していた水野氏のもとに、医療機器製造・販売会社のアトムメディカルからある相談が持ち込まれる。輸入を検討しているドイツ製の母乳用低温殺菌器の実用性を調べてほしいという。水野氏は承諾し、その機器を譲り受けて研究をはじめた。

このことが転機となって、水野氏は勤務先の昭和大学医学部小児科学教室に「母乳バンク準備室」を開設。厚生労働省の支援を受けて研究を進めていくうちに、低体重の赤ちゃんにこそ母乳が必要だと確信するようになる。そして独自の母乳バンク運用基準を作成し、昭和大学江東豊洲病院の中だけに限ってドナー・ミルクの提供を行うことにした。

とはいえ、一つの病院の中だけではドナー・ミルクの普及は限定的にならざるをえない。それを必要とする全国の赤ちゃんに届けるには、社会に広くその意義を伝え、理解者を作っていかなければならない。水野氏はそう考え、学会や講演会で母乳が極低出生体重児に与える効果を伝えたり、啓発活動を行ったりした。

2020年、地道な努力が功を奏して水野氏はベビー用品メーカー・ピジョンの支援を受けて日本橋母乳バンクを開設することになる。だが折悪く、世の中はコロナ禍に陥り医療機関は混乱していた上に、母乳バンク自体にも財政面などの問題が山積していた。

今後の展開に悩んでいた時に声をかけてきたのが日本財団だった。話し合った結果、財団側から事業を発展させるための支援を受けられることになった。こうして日本財団母乳バンクが開設され、2020年から2024年にかけて、ドナー・ミルクを提供する赤ちゃんの数を6倍にまで増やすことに成功したのである。

すべての必要とする赤ちゃんに届けるために

現在、母乳バンクは、昭和大学江東豊洲病院内に設置した母乳バンクを母体にした「一般社団法人日本母乳バンク協会」と、今回訪問した「一般財団法人日本財団母乳バンク」の2団体があり(どちらも水野氏が代表)、前者が48の病院へ、後者が72の病院へドナー・ミルクを提供している。

わずか数年でここまで普及させたのは水野氏の大きな功績だが、全国に200ものNICUを有す病院があることを踏まえれば、普及率は6~7割だ。逆にいえば、3~4割の病院にはまだドナー・ミルクが届いていない。

その理由について、日本財団母乳バンクの常務理事・佐治香奈氏(43歳)は話す。

「ドナー・ミルクを導入するかどうかを決めるのは、各病院の先生の意向になります。まず現場のトップに理解をしてもらわなければなりません。ただ、その病院でずっと粉ミルクを使用してきて、特にその問題を意識することがなければ、あえて既存の仕組みを変える必要がないと判断する先生がいるのは仕方のないことです。その考え方を変えていただくには、地道に情報発信していくしかないと思っています」

病院にはそれまでに築き上げられた医療体制というものがある。粉ミルク一つとっても、業者との関係もあれば、購入から管理に至るまでの予算も決まっているし、使用マニュアルも用意されている。また、医師や看護師のドナー・ミルクへの認識もバラバラだ。こうしたあらゆる障壁を乗り越えて、病院側にドナー・ミルクを導入してもらうのは並大抵の苦労では済まない。

また、地域によってドナー・ミルクに対する温度差もある。都道府県によっては滋賀県や三重県のようにほぼすべての病院が導入しているところがある一方で、一つも受け入れていない県もあるのだ、推測するに、病院も医療者も地域的な横のつながりがあるので、周りの病院が導入していれば導入しやすくなるが、そうでなければハードルは高くなるのだろう。

さらに病院にとっての財政的な負担もある。佐治氏はつづける。

「ドナー・ミルクを使用するには、病院に会員になっていただく必要があります。年会費によって提供できるドナー・ミルクの量が異なり、当財団の場合、無償の会員Gから100万円の会員Aまで7段階に分かれています。当然需要が多い病院は、それだけ高い年会費を払っていただくことになります。

病院にとってのハードルは、ドナー・ミルクは医療保険で賄えないことです。そのため、この料金は病院側が負担しなければならなくなる。当財団としては赤字を承知で極力低い料金設定にしているのですが、経営が厳しい病院も多いため、新たに予算をつけてまでドナー・ミルクを導入してもらうことは簡単ではないのです」

東京都は、2025年に「ドナーミルク利用支援事業」をスタートし、都内の病院がドナー・ミルクを導入する際に金銭的な支援をすることを決めた。都道府県によって税収が異なるので一括(くく)りにはできないが、理想的には自治体が補助金を出して病院側の負担を減らすことができれば普及は加速するだろう。そういう意味では、今後は病院個々への営業だけでなく、政治的なアプローチも必要になってくるのかもしれない。

佐治氏は話す。

「これからドナー・ミルクが広まったとして、私たちがやらなければならないのは医療者以外の人にも知ってもらうことです。ドナー・ミルクは、それを提供するドナーの女性がいなければ成り立ちません。最近はSNSを見てドナーになってくれる方も多いですが、発信の仕方を考えていきたいと思います」

2024年度でドナー登録完了数は748人となっている。ドナーになる理由は様々だが、自分の子どもが低体重児だったとか、難病を抱えていたとか、母親自身が母乳が出なかったといった当事者であることも少なくない。それぞれが持つ問題意識からドナーに登録しているのだ。

だが、ドナー・ミルクの需要が増えれば、今まで以上にドナーが必要になる。現在、748人のドナーで1214人の赤ちゃんを賄っているのであれば、その数倍にすることが求められる。

そのためには、当事者だけでなく、一般の人の認知度を高めることが不可欠だ。それは母乳バンク側の課題である一方で、私たち一人ひとりがどれだけ問題意識を持てるかにかかっている。

今後ますます高齢出産が増え、医療技術が高まるにつれ、低体重で生まれてくる赤ちゃんも増加することは明確だ。そんな未来を迎えるからこそ、私たちは数百グラムで生まれてきた赤ちゃんの食にまで想像を巡らす必要があるのではないだろうか。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』(CEメディアハウス)。

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