立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から
10月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)
自らと向き合って
道元禅師はこんなことをおっしゃっています。
「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」。
「自己をならふ」とは、私たちが自分の仏性を自覚することだと思います。「自己をわするる」とは、皆お互いさまに、同じ尊い人間としていのちを頂いているのであり、人が悲しんだり苦しんだりしているときに、それを他人(ひと)事(ごと)でなく、自分の事として受けとめ、仏さまの道をお伝えすることだと私は受け取っています。
私たち一人ひとりは、仏道を歩み、仏道修行をして、一生を通じて、仏さまのように慈悲深い人間になりたいと願っています。そのことを道元禅師は、非常に分かりやすく表現されたのだと思います。
(10月1日)
毎日を新たな気持ちで
私たちは、いつもあいさつをする時に、「お変わりありませんか」と言います。皆さんお変わりありませんか。私は毎日、変わっていますよ(笑)。
私たちの体を構成している細胞は、日々更新されて、新しくなっているのだそうです。ですから、私たちの体はもうすでに毎日新しくなっている。それに伴って、毎日新しい心になって、元気で精進をさせて頂くことが大事ではないかと思います。
(10月4日)
健康維持も大切な修行
中国の古典に、「苟(まこと)ニ日ニ新タニ、日日(ひび)ニ新タニ、又、日ニ新タナリ」という言葉があります。
私たちは日々、体も心も新たな人間として生まれ変わって、身心ともに日々新たに、希望を持って精進していきたいと思います。
きょうこうして開祖さまの入寂会という一つのご縁で、大勢の皆さんが大聖堂に参集されたわけであります。これも一つの修行と捉えれば、修行であります。修行というと堅苦しいように聞こえますけれども、結局は私たちが生きていくということであり、それはまた、日々、身心ともに新たに、元気で生きていくことだと、私は思います。
ですから、修行とは、特別に難しいことではなくて、仏さまの教えに基づいて、私たちが日々元気で生きていくことに尽きるのではないかと受け取らせて頂いています。
(10月4日)
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