立正佼成会 庭野日鑛会長 9月の法話から
心も新陳代謝
中国の古典の中に、こういう言葉があります。
「日ニ新タニ、日日(ひび)ニ新タニ、又、日ニ新タナリ」
私たちの肉体も、毎日、新陳代謝していますから、日々新たなんですね。ですから、きょうの自分は、きのうの自分とは違うんだ、新しい自分になっているんだ、ということです。
肉体は、そういうふうに毎日新しくなっているのですけれども、われわれの心はついて行けない、いつも変わらない。愚痴をこぼしたり、変なことを言ったりしている。そういう自分を発見することがあります。
毎日毎日、新陳代謝して新たになっていくということを、私どもはぜひ学んでいかなければならないと思います。
(9月10日)
いつまでも自分磨きを
私が今、心がけていますことは、佐藤一斎(さとう・ いっさい=江戸後期の儒学者)という方が述べられた、こういう言葉です。
「少(わか)くして学べば壮にして為すあり。
壮にして学べば老いて衰えず。
老いて学べば死して朽(く)ちず」
少年のときに学べば、壮年になってから、何事かをなすことができると。さらに、壮年にして学べば、老いてもその気力は衰えることはないと。そして「老いて学べば死して朽ちず」と。老いても学ぶ人は、周囲に、いろいろ影響を及ぼします。「ああ、こういう方がおられたなあ」と、皆さんの心の中にとどまるわけであります。
これは、「三学戒(さんがくかい)」と言われる戒(いまし)めの言葉です。そうした言葉をしっかりと自分のものにして、これからもどんどんいろいろなことを学びたいと、そんな思いでいっぱいです。若い人たちにはなかなか及びませんけれども、老いてからも学んでいく。年を取っても、毎日新たな修行をしていくことが、生きる意味であると思います。
(9月10日)
いのちの尊さを自覚して
「賜生(しせい)」という言葉があります。「賜(たまわ)る」という字ですね。大相撲で優勝したときの「賜杯(しはい)」の「賜」の字です。賜るとか頂戴(ちょうだい)する、頂くということで、「生を賜る」、そういう意味であります。これは、私がよく引用させて頂く東井義雄先生(教育者、浄土真宗僧侶)のお話です。
「皆さん、今朝目が覚めてから何回呼吸したんですか。わからんくらい息している……夜も、昼も、日曜も祭日も、『どうかしっかり生きておくれよ、生きておくれよ』と、皆さんが寝ている最中も、皆さんのために働き続けてくれている『働き』があるんですね。
胸のドキドキ(鼓動)、これが止まっている人はいませんか。夜も昼も、日曜も祭日も、『どうかしっかり生きておくれよ、生きておくれよと』と、皆さんのために、一生懸命働き続けているんですね」と述べておられます。
そして、こう続きます。
「呼吸も心臓の鼓動も、自分の意志でしているわけではない。食べたものを消化、吸収し、不要なものを排泄(はいせつ)してくれる内臓の働きも、血液を全身に循環させる働きも、私たちの意志ではない。目に見えない偉大な働きによって、私たちの命はいまここにある。
そもそも、自分の意志でこの世に生まれてきた人は一人もいない。人は皆、何か知らない力によってこの世に生み出されてくる。賜った命であり、人生である」
先ほどの、頂くとか頂戴するという「賜」ですね。そうした命を今、私たちは生かされて生きているということであります。
ですから、私たち人間は、生きている限りはいろいろなことを学んで生きていく。学ぶとは、何かを学んで、どうしたら人さまのためになれるかということが一番大事なところだと思います。
人間は学べば、星が輝いているように、心の中がだんだん明るく冴(さ)えてくる。だから学ぶことは大事だと教えて頂いています。人生は本当に分からないことだらけです。常にそうしたことを、少しでも深く学んでいかなければならないと思います。
(9月15日)