立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から

信仰の意味とは

なぜ信仰をするのかと考えてみますと、徹底して言うならば、本当の自分になるためだと言うことができます。

「温習(おんしゅう)」という言葉があります。繰り返し、繰り返し復習するということです。私たち人間が、何かほかのものになるのではなくて、本当の自分になること、それが信仰だと捉えられるわけです。そうした意味で、本当の自分になる信仰をしているかどうか、私たちはお互いに、そんなことも反省したいものであります。
(12月8日)

画・茨木 祥之

今いる場所がそのまま修行の場

お経巻を読誦(どくじゅ)するときに、最初に出てくる「即是道場(そくぜどうじょう)」。このことが、法華経の信仰の上においてはとても大事だと思っています。これは、「當(まさ)に知るべし、是(こ)の處(ところ)は即(すなわ)ち是れ道場なり」。諸佛(しょぶつ)此(ここ)に於(おい)て無常の悟りを得、諸佛此に於て法を説き、諸仏此に於て涅槃(ねはん)に入られた、と最初に述べられています。

「是の處」とは、法華経を信ずる私たちが住んでいるところで、そこにいて私たちは日頃仕事をしたり、生活したりするわけです。その場所はそのままで修行の場であるというのが「即是道場」です。私たちがいるところ、住むところ、今いるところ、そこが道場、そこで一生懸命に生きていく。それが法華経の道場の捉え方であり、大事だということで「道場観」が最初に来ているわけです。そうした「道場観」の大切さを、日頃からしっかりと心していかなければならないと思います。
(12月8日)

一人ひとりの花を咲かせよう

菅原道真(すがわらのみちざね)という人に、こういう詩があるそうです。

「花は合掌に開く 春によるにあらず」

花はよく春に咲きますけれども、「花は合掌に開く」というところの“合掌によって開く花”とは、私たちの心の中にある仏性の花を意味しているということです。生まれながらに具(そな)わっている、人間を人間に成長させる最も根源的な心、それを仏性と呼びます。その仏性に気づかせて頂くことが、私たちにとって一番大事であります。

誰の心にも、仏の種があります。それを忘れてはならない。その仏の種を育て、花を咲かせるお手伝いをさせて頂く大切さをいつも心にとめておきましょう。

私たちが仏さまの教えを人さまにお伝えをする布教の目的は、何も佼成会の会員にすることではないのです。信者さんを増やして教団を大きくしていくということでもない。多くの人を参拝させるためでもない。たった一人でも、正しい教え、真理、妙法に目覚めてもらうことが一番大切です。そして、生かされていることの尊さに目覚め、輝く人生を歩むため、少しでも仏法の智慧(ちえ)を知って頂く、そのために布教するのです。

誰の心にもある仏の種を育てて花を咲かせる。布教とは、一人ひとりが花を咲かせるというわけです。真理、法を知らない方にお伝えをして、そのお手伝いをさせて頂くのが、私たち布教する者、布教に携わる者の願目です。聞く人の心に仏の種が膨らむ肥料を施す話ができるようにすることが大切です。
(12月8日)

毎日を充実させよう

私たちは、よく「一日は一生の縮図である」と言います。先ほど「即是道場」「是の處は即ち是れ道場なり」と言いましたけれども、人生を本当に意義あるものにしているかどうかは、その人の一日のあり方を見ればわかると言われます。一日は一生の縮図なりです。

また、私たちは雨が降ると「また雨か」と言いますし、病気になると「また病気になってしまった」と悲観したりもします。

「雨の日には雨の日の 病む日には病む日の 老いの日には老いの日の かけがえのない大切な人生がある」

一日一日を大事にしていこうと、こういう言葉もあります。私たちが一日一日を大事にしていくことが、いかに大切であるかということです。また、次のような言葉もあります。

「どの日もどの日も大切な日ばかりです。決してぶつぶつで汚してはならないのです」「決して良い日悪い日はないのです」

私たちは時々、大安だ、赤口(しゃっこう)だと気にします。けれども、その気になれば、一日一日を充実させていくことができます。人生の中で、一日は一生の縮図なり、と言われるような一日一日を重ねていく以外に、私たちの生活はないということです。
(12月8日)

読書を成長の糧に

私は、本当に自分の心の栄養になるような本を読ませて頂き、時には一人で朗読することがあります。そういう佳書(かしょ)を通して、私たちは心を養っていくことができます。

新しい自分の心を沸き立たせるような、そういう読書をする。ただ黙読するだけではなくて、声を出して読んでみる。そうするとまた、自分の心がだんだんと明るく、大きくなっていく、そんな感じを受けるわけです。そうしたことはとても大事であると思います。

私たちはお経の読誦をさせて頂いています。読誦することが自分の心を沸き立たせて、元気に、明るくさせる、そういうものである方がいいわけです。日頃の読経供養で、どんな気持ちで読経しているのかも、こうしたことからまた教えられる感じがします。

昔から、「読書尚友(しょうゆう)」という言葉があります。書物を読むことによって古(いにしえ)の、昔の賢人、故人を友とするということです。読書には、今はもうこの世にはおられない古の人たち、聖人、賢人の書を読み、心を向上させていくという意味があるわけですから、本当に大事なことです。自分の愛読書を持って、毎日少しずつでも声に出して、自分を沸き立たせる読書ができたらいいなと思っています。
(12月15日)