立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から
昨年12月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)
私たちが自覚すべきこと
釈尊がどういうことに目覚められたかですが、仏伝によると、「奇(き)なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとく皆、如来の智慧(ちえ)、徳相(とくそう)を具有(ぐゆう)す。ただ妄想(もうぞう)・執着(しゅうじゃく)あるを以(もっ)ての故(ゆえ)に証得(しょうとく)せず」とあります。
人間だけでなく、生きとし生けるものが皆、如来と同じ智慧と徳分、慈悲を持っているということです。しかし、妄想、執着、つまり煩悩や迷い、物事へのとらわれがあるために、如来と同じ智慧、徳相と一つにならないとおっしゃっているわけです。
私たちはそのことをしっかりと自覚し、仏さまの教えに帰依して、救われていきたいと思います。
(12月8日)
同悲の心があってこそ
仏教に『心地観経(しんじかんぎょう)』というお経があり、そこに母のことを「悲母」と呼び、「悲母の恩」が説いてあります。
日本語には古来、かわいいことを表現する「かな(愛)し」という言葉があります。愛するとは悲しむこと、心配することなのです。
今、ウクライナの問題にしても、人が悲しんでいる時に、私たちがその悲しみを心に受けることでこそ、物事が変わっていく力になっていきます。本当に慈悲の「悲」が大切です。母のどこが尊いかというと、心から子供のことを愛する、悲しむ、この悲母の恩が大きいということです。佼成会は、女性が多いわけですけれども、そうした女性の力、悲母の恩は、とても大きいものがあると思います。
(12月8日)
自分を磨くには
私たちが仏さまの教えを頂いて、なすべきことは、やはり、日々自分を磨いていくことだと思います。日常生活では、いろいろな問題も起こります。問題が起こることは嫌だと思いがちですが、それが、いわば“砥石(といし)”になって私たち自身を磨いてくださるのですから、日頃のいろいろな苦労を砥石と受けとめ、自らを磨くチャンスにしていくことが大事です。
そういうことを心がけていくと、つらい、苦しいと思っていることが、「おかげさま」という方に転換されていきます。神仏のおかげさま、また、子供、家族のおかげさま、あるいは友人、サンガのおかげさま、そういうおかげさまを感じて生きていくことができます。そこに感謝という気持ちが起こってきます。そして、釈尊が悟られた「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとく皆、如来の智慧、徳相を具有す」というところにお互いに行き着くことができるわけです。
そうした仏さまの智慧、徳相を頂くために、私たちは日常生活での苦しみを通して修行をさせて頂いているのです。
(12月8日)
元気で生き生きと
私たち佼成会員にとって、12月は新年のスタートです。「令和五年次の方針」でも発表しましたが、来年は皆、元気で生き生きと精進していこうと申し上げています。
こうして、富士山がきれいに見えていると、日本人はもうそれだけでも元気になります。もちろん、お日さまが明るく、私たちを照らしてくださいますから、それもまた元気を頂くことにもなります。
そして、昨日も、(サッカー日本代表の)選手が帰国しましたけれども、選手たちがスペインやドイツを破ると、それだけでも何か、日本人は元気になります。やはり、お互いに生きている以上は、元気で精進ができるということほど大事なことはないのではないかと思います。
(12月8日)
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