立正佼成会 庭野日鑛会長 11月の法話から

11月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

物事一つ一つに真剣勝負

芭蕉の門人の手記とされている『花屋日記』の中に、優れた10人の門人(蕉門十哲)の一人である去来(きょらい=向井去来)の質問に対して、芭蕉が答えているところがあります。

「古池や 蛙(かわず)飛び込む水の音。此の句にわが一風を興(おこ)せしより初めて辞世なり。その後百千の句を吐くに、此の意ならざるはなし。ここを以(もっ)て句々辞世ならざるはなしと申しはべるなり」

有名な「古池や蛙飛び込む水の音」、この一句を編み出してから、それ以降の句は全部、辞世の句だというのです。本当にすごいことを述べられています。

芭蕉と聞くと、私たちは相当の歳の“老翁”(ろうおう)という感じがしますけれども、芭蕉の生涯は1644年から1694年ですから、50歳で亡くなっています。一つ一つの俳句は辞世だとして、死の覚悟を持って一句一句を真剣勝負で作られたのです。

そういう意味で、私たちも日頃の生活の中で物事をする時、一つ一つを真剣に、命懸けで取り組んでいくという気持ちを、こうした芭蕉の句から学んでいかなければなりません。
(11月1日)

何億年もひきついで

「開祖さま生誕会」を迎えました。

東井義雄先生の「誕生日」という詩があります。孫たちが幼い頃、私はそれぞれの誕生日によくそれを書いて渡しました。

『誕生日』
 
 誕生日おめでとう
 お父さんお母さんから
 いのちをひきついで
 おじいさんおばあさんから
 いのちをひきついで
 その前のおじいさんおばあさんから
 その前のその前のご先祖から
 いのちをひきついで
 何億年も昔からの
 いのちをひきついで
 あたらしいいのちの
 この世への誕生
 おめでとう おめでとう

こういう分かりやすい詩です。東井先生の『誕生日』という詩は、子供たちにいつもぴったりと感じます。「何億年も昔からの いのちをひきついで」というところが素晴らしいと思い、孫たちに与えたのです。お互いさまに誕生日を、こうした思いで迎えたいものです。
(11月15日)

法燈継承から30年

先ほど、30年前の「法燈継承式」の映像を控室で見ながら、娘の光祥が「覚えていますか?」と言いますから、「みんな忘れたよ」などと話しました。ああいう時は緊張していますから、周りのことはほとんど覚えていなくて、先ほどの映像を見て、こういうことだったのだと思ったわけです。

30年というと、外国では「ワンジェネレーション」(一世代)という言葉が使われます。開祖さまが85歳で、私が53歳の時でした。

開祖さまの後、佼成会をどのようにしていくかと真剣に考えてきました。大したこともできませんが、法華経精神の中に仏教の本当の精神があるということですから、法華経の精神を具現していける佼成会でなければならないと思い、いろいろ取り組んできたのです。

最初は、とにかく「親戚まわり」でした。森政弘先生のご本の中に、私たちは大きく言えば、「宇宙一切合切が親戚なのだ」とありましたから、全国の教会にお邪魔をする時に、親戚をまわらせて頂くという意味で、そういう言葉を使わせて頂きました。(法燈継承式は)平成3年11月15日で、その年は12月に全国の教会で落慶式などがあり、そうしたところにも伺いましたが、実際の「親戚まわり」は翌平成4年に一年かけて行いました。

私は緊張の中で「親戚まわり」をしましたので、緊張を解きほぐすために、当時、弟の欽司郎が佼成学園の校長をしていましたから、「弟は、体は好調(校長)、私は、体調は快調(会長)でございます」と、皆さんと解け合いたいと思って、そんな冗談を言いながらまわったことを鮮明に覚えています。そうしたいろいろなことが今、思い出されます。
(11月15日)

有限の命、永遠のいのち

私たち一人ひとりが、この世に生まれて誕生日を迎えます。日めくりに、女性の作家の詩であったと思いますが、このようにありました。

 ヒメクリハ マイニチマイニチ トシヲトル
 トシノクレニハ シンジャウヨ
 ニンゲンハ オショウガツニトシトッテ
 マイトシマイトシ トシトッテ
 一トウオシマイニハ シンジャウヨ

日めくりのカレンダーですから、毎日、一枚ずつはがしていきます。一等おしまいにはなくなってしまいますから、「一トウオシマイニハ シンジャウヨ」という日めくりの詩です。とても簡単な詩でありますけれども、本当にそうだと思って、その詩を覚えています。

誕生日は、何かとてもめでたい感じがします。しかし、私たちの命には限りがあります。それでも、宇宙一切合切が親戚であり、私たちの現実の体、命はなくなりますけれども、それはまた大地に還(かえ)ったり、いろいろな元素になったりし、宇宙と一体だということです。

人間の体としては死となりますが、宇宙の一切合切と関係を持って、また生きているのです。永遠のいのちを頂いていると言っても差し支えないわけです。
(11月15日)

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