立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から
10月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)
煩悩と菩提
私たちは、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の煩悩を、いけないものだと受け取りがちです。煩悩は悟りを妨げますから、良くない働きではあるわけですが、それがあるからこそ、苦しい自分を何とかしなければならないという求道心や、菩提を求める気持ちが起こさしめられるわけです。
「煩悩即菩提」の「菩提」とは悟りのことで、この言葉は「煩悩」と「悟り」は一つなのだという意味になります。煩悩があるからこそ、私たちは、仏法を、真理を求めます。悩んで、苦しんで、そして何とか楽になりたい、すっきりしたいという気持ちを起こします。ですから、この煩悩も真理の表れです。人間は皆、貪・瞋・痴を具(そな)えているのですが、それがあってこそ、また悟りを求める――そういう人間として生まれてきたのです。
「煩悩」と「菩提」という二つの全く相反するもの、その両方がなければ、私たちに悟りを求める気持ちも起こりません。
ただ単に片方が悪くて、片方が良いという融通の利かない発想ではなく、両方とも必要であったということを、私たちはしっかりと肝に銘じて精進をさせて頂くことが大切です。邪魔する煩悩も真理の表れ、悟りの縁となる大切なものであると、しっかりと肝に銘じたいものです。
(10月1日)
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