唯仏与仏(10) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話

禅の言葉に「一寸(いっすん)座れば一寸の仏」というものがあります。線香が一寸燃える時間だけの坐禅をしても、そのぶんだけは仏の心でいられる、というのです。

私はそれを「一人を導けば、一人ぶんだけの仏」と言い換えたいのです。「仏」というのは「目ざめた人」なのですから、一人を導いてみれば、それだけの「目ざめ」が生じるからです。このことは、私の長年の体験から、太鼓判を押して保証します。

(『庭野日敬平成法話集1 菩提の萌を発さしむ』の一節を抜粋して掲載します。今回は同書47ページから)

※『庭野日敬平成法話集1 菩提の萌を発さしむ』について
佼成出版社ウェブサイト https://www.kosei-shuppan.co.jp/book/b358914.html