バチカンから見た世界(34) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

相対する二つのエキュメニズム

イエズス会の機関誌「チビルタ・カトリカ」が、米国のキリスト教原理主義を特徴付けるマニケイズム(善悪二元論)について分析したことを伝えた。同誌は、さらにもう一つの特徴として「繁栄の神学」を挙げる。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を基盤とするピューリタニズム(清教徒主義)から、強き宗教、社会、政治的影響力を行使し、メディアの世界で活躍する富豪の牧師や宗教団体によって説かれる「繁栄の福音」へと変貌した原理主義だ。「神は、信徒たちが身体的に健康で、物質的に富み、個人的に幸福であることを望まれる」と説く。

米国での選挙中にしばしば、「聖書を片手に持ち、凱旋(がいせん)者のような姿をした政治指導者」のポスターを見かけると指摘する同誌は、ニクソン、レーガン、トランプ大統領を直感的にひらめかせるノーマン・ヴィンセント・ピール牧師(1898-1993)を、「繁栄の神学」の際立った指導者として挙げる。彼の著書である『積極的考え方の力』は全米でベストセラーとなり、世界で2000万部を売り上げたといわれている。「何かを信じるなら、獲得するだろう」「“神は私と共にあり、誰が私の敵なのか”と繰り返せば、何もあなたを止めることができない」「あなたの念頭に、あなたの成功のイメージを焼き付けるなら、成功がやってくる」といった内容の著書だ。

これに対し、「繁栄の神学」への同誌の評価は、「多くの『繁栄の神学』テレビ説教師たちは、マーケティング、(市場)戦略方針と説教を混ぜ合わせ、(人間の)救済や永遠の生命よりも個人の(経済的)成功を重視する」というものだ。救済論のない宗教は、宗教ではないということである。

そして、米国のキリスト教原理主義の第三の特徴として、同誌は、「信教の自由」の擁護を挙げる。しかし、その「信教の自由」は、世俗化していく現代の社会にあって、政教分離の原則に基づく「国家の非宗教的性格」に挑戦するもので、原理主義の視点から捉える「自由な宗教」の擁護を意味する。

米国のキリスト教原理主義は、プロテスタント教会のみから派生したように考えられているが、同誌は、プロテスタントの福音的原理主義とカトリックの政教一致主義が、「政治に対する直接的な宗教の影響力の行使」という共通の意図を基盤に結び付き、「意外で、おかしな形の教会一致運動(エキュメニズム)」を形成していると指摘する。選挙中には「価値観の投票者」と呼ばれ、「人工妊娠中絶、同性愛者同士の結婚、学校における宗教教育、このほか道徳的、あるいは、価値観に結び付くと考えられる諸問題」に関し、共通の目標を置く。原理主義者の「意外なエキュメニズム」は、伝統的な教会一致に向けた運動を非難し、神権的な国家への郷愁の夢によって結ばれる「闘争するエキュメニズム」を促進するという。

バチカンの見解を反映するイエズス会の機関誌「チビルタ・カトリカ」。これによれば、原理主義者たちが結び付いている「意外なエキュメニズム」は、異なる人種やイスラームへの恐怖症を基にしており、メキシコ国境沿いの壁の建設やムスリム(イスラーム教徒)の送還を主張するところに、危険性があると指摘する。彼らの結び付きは、「憎悪のエキュメニズム」なのだ。

これに対して、ローマ教皇フランシスコの説く、伝統的な教会一致運動と諸宗教対話の路線は、「包摂」「平和」「出会い」「橋」を意味する。一方、諸宗教が同調できない「意外なエキュメニズム」が表れ、この二つの相対するエキュメニズムの現象は、これまでになかったものであるという。特に後者は、「政教一致原理主義」とも呼べるもので、「その教勢拡大の最も劇的な側面」を垣間見せていると同誌は説明する。

今、米国で起きている現象を、同誌の見解に沿って見ていくとき、教皇フランシスコが、壁の建設とあらゆる形の宗教戦争に反対し、それをいかに防ごうと力を尽くしているかが理解できる。