バチカンから見た世界(29) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

中東の「失われた世代」

地中海東部と、その隣接地域での紛争や戦争の犠牲者は2015年時点で、推計14万4000人に上る。これに対し、暴力が原因の殺人や自殺による死者数は140万人と、紛争や戦争の犠牲者の10倍にあたることが、米ワシントン大学などの調査で分かった。

調査は、アフガニスタン、イラン、ソマリア、スーダン、シリア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦を含む地中海東部の22カ国(総人口約6億人)が対象。このほど、調査結果が、公衆衛生の国際的な専門誌「インターナショナル・ジャーナル・オブ・パブリックヘルス」に掲載された。

ローマ教皇庁外国宣教会(PIME)の国際通信社である「アジアニュース」は調査結果について報道。「戦争のみならず、殺人や自殺をも含めた中東における暴力が、子供や若者の現在を生きる力と未来の希望を奪い、『失われた世代』をつくり出した」と伝えた。暴力が原因の犠牲者は、女性よりも男性が多かった。

同通信社は、研究者や専門家たちがこれまで、この地域における若い世代の未来に関して警鐘を鳴らしてきたと指摘した。さらに、2015年に戦争や暴力によって教育を受けることができず、学校に通えなかった児童の総数が1300万人という国連の統計を引用し、「教育施設の破壊のみならず、彼らの希望と未来が微塵(みじん)に砕けていく、その世代全体の“絶望感”」を報じた。調査に協力したワシントン大学のアリ・モクダド教授は、「中東地域における制御できない暴力が、多くの子供や若者たちを『失われた世代』にしている。社会に安定をもたらさなければ、中東の未来は悲観的だ」とコメントを寄せている。

また、調査結果によると、この地域でうつの症状、不安障害、パニック障害といった精神疾患が急増していると報告。さらに、2015年に、約3万人が自殺し、3万5000人が個人間での暴力によって死亡した。過去25年間で、自殺は100%増、個人間の暴力の死者は152%の増になっている。同じ時期、世界の他の地域では、自殺が19%増、個人間での暴力の死者は12%増であることから、地中海東部の状況の厳しさが際立つ。

一方、治療にあたる精神科の専門医は慢性的に不足しており、状況の悪化に歯止めがかからない。リビア、スーダン、イエメンでは、10万人の住民に対して精神科の専門医は0.5人。欧州諸国では、10万人に対して40人の専門医がいるのと比べて事態の厳しさが分かる。ソマリア、スーダン、ジブチでは、1990年から2015年までに、エイズによる死者が10倍に急増したとも報告されている。

中東やその隣接地域で長引く紛争や戦争は、戦場で多くの死傷者を出すだけでなく、“合併症状”として市民社会に恒常的な暴力を誘発し、戦争犠牲者の10倍に及ぶ人々がその犠牲になっている。同時に、市民の心と精神に大きな危害を加えている。