バチカンから見た世界(25) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

「衣食足りて礼節を知る」は、もはや遠き昔の格言か 

「衣食足りて礼節を知る」という諺(ことわざ)を昔、学校で教わった。今、イタリア南部に漂着するアフリカ大陸からの移民や難民に関する報道を追う中で、その諺が思い起こされ、誰が「礼節を知らないのか」と問い続けている。

衣食住が満たされることなく、国を脱出してアフリカ大陸を後にする人々の総数が、年間1200万人に達し、700万人が子供だという。イタリア南部に漂着した移民、難民に絞ってみると、ここ7カ月間の総数は8万5000人(昨年比18%増)。このうち、9700人が大人の付き添いのいない未成年者だった。移民・難民は、現代の世界経済の仕組みがもたらすひずみ――貧困、紛争、気候変動といった人間の活動が生み出している負の現象を最も強く受けている人々と言える。そこから逃れるために、悪質な密航業者の手配する廃船となった漁船やゴムボートに乗り、鈴なりとなって地中海を渡ってくるのだ。

イタリアの沿岸警備隊や、さまざまなNGOの救助船が彼らを救出し、南部の港へと搬送しているものの、国内の収容施設はすでにパンク状態にある。イタリア政府は、フランスとスペインに救助船に対して港を開放するよう要請したが、両国政府の答えはノーだった。欧州連合(EU)の旧東欧圏諸国は、移民や難民の受け入れに強く反対し、オーストリアは、イタリアとの国境に装甲車を配備して彼らの流入を阻止すると警告している。

イタリア・ローマで7月3日から8日まで、この地に本部を置く国連食糧農業機関(FAO)の第40回総会が行われた。席上、ジョゼ・グラジアノ・ダシルバ事務局長は、2015年までは減少傾向にあった世界の飢餓状況が、再び増大していると警鐘を鳴らした。この中で、現在、8億人が慢性的な飢餓に苦しんでおり、栄養失調にある60%の人々が、戦争や気候変動の弊害を受ける国に住むと指摘。ナイジェリア、ソマリア、南スーダン、イエメンといった19カ国で、2000万人が十分な栄養を摂取できない状況にあり、「こうした状況の中で生きる人々にとっては、移民、難民の統計数を高める以外の選択は残されていない」と報告した。過去数十年間にわたって進めてきた飢餓と貧困の解決に向けた取り組みが今日、「紛争、気候変動、食生活の変化によって危機にさらされている」とも訴えた。

ローマ教皇フランシスコは、同総会にメッセージを送り、国務省長官のピエトロ・パロリン枢機卿が読み上げた。メッセージの中で教皇は、「(飢餓の克服に向けて)数々の目標への道のりがいまだ遠いのは、国際活動を進めていく連帯の文化が欠如し、統計を使っての実践主義、分かち合いの理念を欠いた効率主義に陥っているからだ」との見解を表明。「創造主の神から私たちに託された善は、全ての人々のものであり、連帯が国際社会の協力を進める上でのインスピレーションになるべき」と訴えた。

さらに、「飢餓や栄養失調は、特定地域の自然や制度に由来する現象ではなく、多くの国々の無関心、一部の国の利己主義によって引き起こされた低開発状態によるもの」と指摘。戦争、テロ、強制移住といった問題が、飢餓克服のための協力活動そのものを停止させ、困難なものにしているが、「それは宿命ではなく、(人間の)明確な選択の結果である」とも戒めた。

教皇にとって、世界の飢餓問題は、あくまでも人間の業によるものとの認識である。「礼節を知る」ことが、他者に対する尊敬、連帯であり、人間が共存していくための不可欠なルールであるということだ。そうであるならば、現代のひずみを一身に受けている移民、難民を拒否し、彼らが暮らす状況や世界の飢餓問題に関心を持とうとしない現在の西洋や日本は、「衣食足り過ぎて礼節を知らず」と定義できるのではないか。