「バチカンから見た世界」(181) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

-「平和の神学」を説き続けるレオ14世(10)-
今年の7月にバチカン出版局から刊行されたローマ教皇レオ14世の新著『武装せず、武装を解く。平和は贈り物』(仮訳)は、彼が教皇に就任してから今日まで一貫して説き続けてきた「平和の神学」を集大成したものだ。「平和の神学」は、教皇に選出された直後、バチカンのサンピエトロ大聖堂の中央バルコニーに立ち、同広場に参集した大群衆に向かい「あなたたち皆さんに平和がありますように」と発した最初のあいさつから続いている。
この「平和のあいさつ」で教皇は、「復活し、神の羊(信徒)のために生命を捧げた良き牧者であるキリストが、(彼の十字架上の死によって狼狽=ろうばい=していた)弟子たちに投げかけ、励ました最初のあいさつ」について述べ、「私も、この(復活した)キリストのあいさつが、あなたたちの心の中に入り、あなたたちの家庭と全ての人々に届き、何処にあっても、全ての国民、全ての地に到達するように」と願った。そして、「復活したキリストの平和は、武装せず、武装を解き、謙遜で忍耐ある平和であり」、「われわれを無条件で愛される神に由来する平和である」とも説明した。この「復活したキリストの平和のあいさつ」が、新教皇のカトリック教会の指導方針の根幹に置かれたのだ。
教皇は、復活したキリストが弟子たちに告げた「平和」を新著の中で、「(人間の)手の武装解除もさることながら、その前に、心を武装解除する」ことを強調しながら、その「平和は、武装せず、武装を解く」と位置付けた。「(核による)抑止ではなく友愛、最終通告ではなく対話の平和」なのだ。「敵に対する勝利の結果としての平和ではなく、種蒔(ま)かれた正義、勇気ある赦(ゆる)しの結実としての平和」とも説明している。だが、この復活したキリストの平和は、「弱体化した多国間主義」という現代世界状況の中で追求されていかなければならないと、教皇は分析する。「対話と、皆による合意の模索を促進してきた外交が、各々や、同盟グループによって行使される、力の外交によって置き換えられている」からだ。
国際法の実行手段として設立された国連が弱体化され、自国第一主義と、それを標榜(ひょうぼう)する国家間での同盟が行使する、軍事力に頼る強制力が世界を支配し始めたのだ。第2次世界大戦後に定められた「他国の国境を軍事力によって侵害してはならない」とする国際法が蹂躙(じゅうりん)され、「(神からの)贈り物であり、自体が人間の願望である平和が追求されなくなった」とも指摘する。さらに悪いことには、そうした国際状況の悪化に加え、「新しく、決定的な要素が介入してきた」と、教皇は警鐘を鳴らす。「メディアとデジタル」だ。
双方の果たす役割が、教皇の憂慮するところだ。断片化されたメディアのネットワークや情報世界、敵対関係を煽(あお)るアルゴリズムが、極化(分断)と怨念を増幅し、プロパガンダを助長することによって、集団的(社会的)な判断を困難とするからだ。「このようにして、戦争が戦われるだけではなく、単純化された説話、敵対(友人か敵か)の論理、誤報や恐怖によって、文化的にも準備されていく」とも糾弾する。
こうした、人間の行う文化的な作業によって、「歴史の記憶(二つの世界大戦)が薄くなり、市民と、より弱き人々を擁護(人道法)するという、倫理的な範疇(はんちゅう)が弱体化されると、暴力の必要性を説くテーゼが、より容易に受け入れられるようになるどころか、暴力を回避できず、むしろ、“潔癖”であると判断されるようにもなる」のだ。このような状況の中で、「人類は、(政治的)強権によって行使される暴力文化の中へ滑り落ち、平和が責任ある(恒久的な)課題としてではなく、紛争と紛争との間における場つなぎの政策となってしまう」と分析する。
ここで教皇は、「過去にも増して、“正戦”という論理を克服していく重要性」を訴える。人類は、正当防衛をも含めて、「紛争に対処して人間生命を促進していくために、対話、外交、赦しといった、戦争よりも、更に効果的で能力のある手段を持っている」からだ。復活したキリストが弟子たちに呼びかけた「平和」を、「武装せず、武装を解く平和」として説く教皇は、即位してからの一年半、あらゆる公の場、特に、日曜日恒例の正午の祈りや水曜日恒例の一般謁見の場を通して、ウクライナ、中東や、世界各地の紛争地域での和平を、間断なく訴えてきた。
9月6日にも教皇は、バチカン広場で執り行った日曜日の正午の祈りの機会に、最近のウクライナの諸都市とインフラに対する「破壊的な攻撃」に言及し、「無垢の人々の殺害」を糾弾しながら、「数年間にわたり苦悩と恐怖の内に生きるウクライナ国民への連帯を表明」した。さらに、「暴力に終止符を打ち、破壊を停止し、心を対話と平和に向けて開放するようにアピールする」教皇は、「ここ数日間にわたり展開されている、折衝の再開を試みるイニシアチブが、具体的な実を結び、外交へ向けてのスペースを開け広げていくように」と願った。
教皇の指摘する、ウクライナ戦争の「折衝の再開を試みるイニシアチブ」とは、8月25日の米中央情報局(CIA)のジョン・ラトクリフ長官のロシア訪問と、9月5日に始まった、米国のスティーブ・ウィトコフ特使らがモスクワとキーウを訪問し、プーチン大統領とゼレンスキー大統領と懇談することによって、7カ月ぶりに再開されたウクライナ和平を巡る外交折衝のことだ。
バチカンの公式ニュースサイトである「バチカンニュース」は9月10日、「小さくて困難な一歩」と、トランプ政権によるウクライナ和平へ向けての調停努力を論評し、「米国、ロシア、ウクライナ間での直接折衝の再開が望まれている」と報じながらも、「双方で犠牲者の出る交戦が続けられている」との現状を伝えている。だが、ウィトコフ特使らによるロシア、ウクライナ訪問に先駆け、バチカンは8月25日、同国務省の外務局長(外相)であるポール・ギャラガー大司教をモスクワに派遣し、ロシアのラブロフ外相と会談させていた。先代の教皇フランシスコは、伊カトリック司教会議議長のマテオ・ズッピ枢機卿(ボローニャ大司教)をウクライナ和平のための教皇特使として任命し、「ウクライナ和平へ向けての雰囲気作り」を目的に、戦争の生み出す「人道、捕虜、ロシアによって拉致されているウクライナ人の子どもたちの釈放問題」を中心に、ワシントン、モスクワ、キーウ、北京などを訪問してきた。こうした経緯を踏まえ、教皇レオ14世は今回、バチカン国務省の重鎮をモスクワに派遣した。このギャラガー大司教によるモスクワ訪問が、教皇によるバチカンの平和外交政策に関する、微妙なる変化を示唆している。





