バチカンから見た世界(162) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

さらに、教皇は同日、中東のカトリック信徒たちに宛てた公開書簡を公表。「一年前に、憎悪の導火線が点火され、いまだに、鎮火されていない」どころか、「武器のごう音を止め、戦争という悲劇に終止符を打つことのない、国際共同体と列強諸国の恥ずべき無能さ」を糾弾した。涙とともに血が流され、報復への願望によって憤怒が助長される状況下で、「対話や平和といった、最も必要とされ、人々の望んでいることに対して、少数の人しか関心を示さないように見受けられ」、武器は未来を構築せず、破壊するという、「歴史の教訓」から学ばない人類だからだ。だが、教皇は、中東のカトリック信徒たちを、「神から愛された種である」と呼んだ。覆われた土によって窒息しているようにも見えるが、「常に、上に向かって光への道を見いだし 、実を結び、生命を与える」からだ。従って、中東のカトリック信徒たちは、「信仰の光によって、憎悪が論議され、衝突がまん延する中で出会い、全てが対峙 (たいじ)に向かう状況にあっては一致を証し、希望の胚芽となっていかなければならない」のだ。

この中東におけるカトリック信徒の使命を全うするため、教皇は「中東和平のために祈り、断食する日」を定めたのだ。「祈りと断食は、愛が有する、歴史を変える武器である」と主張する教皇は、その愛の武器が「“その起源からして殺人者”“偽りの父”であり、戦争を引き起こす私たちの真の敵なる悪の精神を敗北させる」と説く。苦難に遭い、耐えしのぎ難い状況にあるガザ地区の住民への連帯を表明する教皇は、家を追われ、学校や職場を離れざるを得ず、爆撃から逃れるために行き先を求めて徘徊 (はいかい)する人々にも思いを馳 (は)せる。自身の子どもが死んだり、負傷したりして涙を流す母親たちに対し、「あなたたちと共にある」と慰め、中東の子どもたちから「遊ぶ権利」を剝奪する、権力者たちの政治的な思惑を糾弾した。「天から火(爆弾やミサイル)が降ってくるため、上を見ることのできない人々」「政策や戦略について多くが語られながらも、権力者が他の者たちに戦わせる、戦火におびえる一般市民の具体的な状況については、少しの配慮しかなされず、そうした声なき人々」の存在への配慮を促す一方、「権力者たちには神の揺るぎない審判が下る」と戒めた。

最後に教皇は、「平和と正義を追い求め」、「悪の論理に屈することなく、“敵と、あなたたちを迫害する人たちを愛しなさい”とのキリストの言葉を実践する中東のカトリック信徒たち」に期待を寄せ、メッセージを結んだ。

レバノンに展開されている国連平和維持軍がイスラエル軍によって攻撃されているが、イスラエルのネタニヤフ首相は13日、イスラエルが「好ましくない人物」として同国への入国を禁じた国連のグテーレス事務総長に対し「平和維持軍の即時撤退を要求」した。イスラエル政府の同意を得て展開されている平和維持軍であるにもかかわらずだ。だが、ネタニヤフ首相による撤退要求発言と同時刻に、教皇はバチカン広場での日曜恒例の正午の祈りの席上、「国連平和維持軍が尊重されるように要請する」とアピールしていた。