バチカンから見た世界(145) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
3宗教間の融和なくして中東和平は実現できない(4)―イスラエル・ハマス間戦争の中で2民族の共存を生きる人たち―
第二バチカン公会議(1962~65年)が示した刷新運動を継続しようと努力するイタリアのカトリック在家運動体「Viandanti」(巡礼者)は、同名の機関誌に掲載した『イスラエル/ユダヤ民族国家』と題する記事で、イスラエルが建国当時(1948年)に国家のアイデンティティーとして「成文憲法」を制定しなかった理由として、立憲議会が「ユダヤ教の聖典『トーラー』(モーゼ法)」を国家のアイデンティティーとして選択したことを挙げている。
だが、神がアブラハム、モーゼ、ダビデ、預言者たちに語りかけた(啓示)のは数千年も前のことだ。当時は、ユダヤ王国が画一的な性格を有し、他民族との混交のない人種的純粋さ(単一民族国家)という侵害されない国境線を保持できた。だが、民主主義、多様性、平等、グローバル化、法治国家などによって性格付けされる現代世界で、数千年前の状況下でなされた神の啓示(聖典)をどのように現代国家のアイデンティティーとしていくのかが問われるべきだと同誌は主張する。神からの言葉を、その啓示がなされた当時の状況を含めて受け入れるのではなく、「聖典が持つ新しい(現代的)意味」を追求し、「与えられた神からの言葉への忠誠を過去の中に探すのではなく、未来の建設という視点から、現代の状況、人間、素晴らしき人類の多様性を考慮し、解釈していく」ことが必要だというのだ。過去の状況でなされた神からの啓示を中東情勢にそのまま押し付けるのではなく、ユダヤ人救済史の一コマとして現代国家イスラエルの建設とアイデンティティーの模索という視点から、新しく解釈されなければならないという呼びかけだ。そうしなければ、イスラエル国家のアイデンティティーがユダヤ教の原理主義に変貌し、国内の極右ユダヤ教勢力の台頭を助長すると同時に、国際共同体や周辺諸国との摩擦を誘発することになる。
ユダヤ教の信者は、キリストをメシア(救世主)と認めず、その到来をいまだに待ち続けている。神による最後の啓示からメシアの到来を待つ間が「終末」ではなく「平和」の時となるよう、聖典『トーラー』を救済史の一コマの状況に合わせ、時代時代の人に理解できるよう解釈していくことを「Viandanti」誌は訴えている。