バチカンから見た世界(16) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

平和を説く者に防弾ガラスは要らない――ローマ教皇

ローマ教皇フランシスコは4月28日朝、エジプト・カイロを訪問するためローマ空港を飛び立った。カイロ訪問に際し、教皇は、『平和のエジプトにおける平和の教皇』をモットーに掲げた。エジプトのタンタとアレクサンドリアにあるコプト正教会の2教会で爆弾テロ攻撃され、47人が犠牲となった事件から3週間後に当たっていた。

エジプト政府による厳戒態勢の中での訪問となったが、教皇は、防弾ガラスを装備した車を使うことを拒否し、普通の中型乗用車で移動した。同日付のバチカン日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」は、教皇の選択に触れ、「キリスト教徒は毎回、ミサに行くために生命の危険にさらされている。その国で、どうして教皇が防弾ガラスの車に乗れるのか?」とのコメントを添えた。また、「彼らの武装を解除させてくださいと神に祈るのみならず、私たち自身も武装を解かなければならない。(防弾ガラスの)防御を放棄することは、(私たちの)武装を解除する行為の象徴になる」とも記した。さらに、イスラーム・スンニ派最高権威機関「アズハル」のアハメド・タイエブ総長が昨年5月にバチカンを訪問した答礼としてアズハルに行くことは、「あらゆる犠牲を払い、あらゆる打算と儀礼を超えて、宗教和平に向けて努力することを意味する。どのような危険を冒しても、だ」という見解を示した。

イタリアの著名なイスラーム社会学者であるパドヴァ大学のレンツォ・グオロ教授は、エジプトは「1970年代以降、過激なイスラーム主義を唱える人々の故国になった」(同29日付のイタリア紙「ラ・レプブリカ」)と指摘する。この地で過激派のイデオロギーが生まれ、さまざまな過激派組織が「“信仰者の義務”として聖戦を理論から実践へ移していった」というのだ。1981年のサダト大統領の暗殺が、その始まりであり、「“不敬虔なる政権担当者”と“敵のイメージ”となるキリスト教徒を攻撃するようになった」という。こうした状況下で、「平和の巡礼者」としてエジプトを訪問した教皇の最重要課題は、「諸宗教対話を通しての平和構築」だ。

カイロに到着した教皇の最初の公式スピーチが、28、29の両日にアズハルで開催された世界の諸宗教者の参加による「平和のための国際会議」で行われたことからも、それは理解できる。「国際会議」は、アズハルとイスラーム長老評議会(本部・アラブ首長国連邦アブダビ、タイエブ総長が議長を務める)の共催によるもので、中東やアフリカ北岸地域のイスラーム、キリスト教の指導者、研究者、政治指導者を中心に、世界の諸宗教指導者を含む約300人が参加した。『聖典の歪曲(わいきょく)した解釈』『宗教における平和文化』といったテーマを中心に、「世界平和と貧困、搾取といった諸問題との関係」についても議論された。

今回の国際会議は、米国でトランプ大統領が特定のイスラーム諸国の人々に対して、米国への入国を制限する大統領令を発し、欧州諸国では、「反イスラーム」を掲げる右派の政治家やポピュリストによって移民排斥が高まっている中での開催でもある。宗教思想や政治理念の改革を推進するイスラーム・スンニ派権威機関が、欧米の政権担当者やキリスト教をはじめとする世界の諸宗教指導者に呼びかけ、宗教を歪曲した思想を旗印としてテロを起こしている過激派の問題に共に対処していく姿勢を示していることに大きな意味がある。